モブトエキストラ

左利きのメモ魔が綴る名もなき日常

「無関係な死・時の崖/著 安部公房」の感想

『なわ』目当てで買いました

この記事を書いている今現在は8月14日土曜日です。
ちょうど1週間前に『水中都市・デンドロカカリヤ/著 安部公房』の感想を書きました。

「水中都市・デンドロカカリヤ/著 安部公房」の感想 - モブトエキストラ

久しぶりの感想文という事で結構、文章を書いてみて思ったのが「長いな」っていう。もっと簡単に書いてもいいのではないかと思って、今回はサラサラっと書いてみます。
今回なぜ『無関係な死・時の崖』を読もうと思ったのかというと、読んでみたかった『なわ』が収録されている事が8割。あとは『砂の女』を超える小説に未だ逢えないので安部公房作品をディグったらヤバイやつ出てくるんじゃないか?という目論みです。
早速、サラサラといきましょう。
それはまるで流しそうめんのように。
(こういうのがいらねーんだよなぁ)

『夢の兵士』

P8
夢も凍るような 寒い日に
私はこわい夢をみた
夢は帽子をかぶって出ていった
昼さがりーー
私はドアに 鍵をした
P21
夢もとけるような 暑い日に
私はおかしな夢をみた
帽子だけが戻ってきた
昼さがりーー
…………………………

一番最初に収録されている作品であり、「夢」から始まる物語。
脱走兵をテーマにした内容で、年老いた巡査の元に脱走兵が出たという連絡があり、何をするのか分からないので注意喚起をするというのが前半。実はその脱走兵が息子だったというのが後半で、軍国主義村八分の中で生きてゆける訳もなく、息子は鉄道に飛び込み自殺し、巡査も村を去ったという話です。
上記引用文は小説の最初と最後を抜き出したもので、冬と夏なのか真逆の言葉になっているのが分かります。
凍る→溶ける
寒い→暑い
怖い→おかしい
出ていった→戻ってきた
しかし「ドアに鍵をした」に対応する文章が無くて、『砂の女』の三点リーダーみたいになっています。
解釈は難しいのですが、「帽子だけが戻ってくる」というのを考えると、村を去った後に「息子の帽子だけが遺品として帰ってきた」と読めなくもないので、三点リーダーは虚無感を表現したのではないかと思います。脱走兵はもう居ないので鍵をする必要もない。といった感じでしょうか。

『誘惑者』

この作品は私がこれまでに読んだ安部公房作品の中で、かなり安部公房っぽくない書き口で、しっかりとしたオチがある珍しい作品でした。

駅で大柄の男が横になっている所に、見知らぬ小男が来て、大男を刑事と勘違いして一本的に話し続けたと思ったら言葉巧みに大声を連れ出して、ラストに追う者と追われる者とが逆転するという内容でした。

P32
小男は黒っぽい舌の先を、唇の端にかるくすべらせ、喉の奥でおかしそうに笑った。すると相手は、組み合わせた指が白くなるほどかたくにぎりしめ、いきなり大声でわめきだしたのだ。

印象的だったのがこの文章。
「黒っぽい舌の先」「指が白くなるほど」という、さりげなく色の対比を置く文章が綺麗で仕方ない。先ほどの文章もそうでしたが、相対するものが一つの文章に同居していると惹かれるものがあります。
現代でいうと宇多田ヒカルさんリリックに多いんですよ。『First Love』というタイトルなのに「最後のキスはーー」で始まり『One Last Kiss』だと「初めてのルーブルはーー」で始まる。始まりと終わりが同居しているのでループ感がある。
静かな文章でも言葉と構成でグルーヴが生まれるのですね。

『家』

いつの頃から生きているのか分からない、ほぼミイラみたいな先祖を巡る物語。養子をもらい新しい家族像を描こうとしたら、娘の元に先祖が現れ、娘はひきつけを起こしてしまう。
そして子孫達は「果たして本当に先祖なのか?」と疑問を抱きながら、殺してしまおうと画策するという内容。
親殺しと姥捨山の要素がありつつ、先祖を殺すという事は未来を証明する過去を失うという事であり、自らの存在意義を失う自殺行為だと私は読みました。
ただ、面白いか面白くないかで言ったら私には面白くなかったです。テーマである家長制度は古いし、それによって現代人である私達は「主人」と「奥さん」という呼び方をどうするべきか考えなければならないという負の遺産を抱えている。「夫さん」と「妻さん」だと違和感あるし。まぁ、それを含めて家長制度をどうするのかを問いかけてる作品でもあるのでしょうね。
でも、気になる一節があるのです。

P66
つまり、一人の幻影は嘘だが、十人の幻影はいくらか本当に近づき、百万人の幻影は、完全な実存だということじゃないか……そこで考えてもらいたいわけだ。

↑これよこれ!
以前に読んだ『R62号の発明・鉛色の卵』に収録されている『変形の記憶』『死んだ娘が歌った……』に通じる言葉。生存の証明に感じました。

「R62号の発明・鉛の卵 /著 安部公房」の感想 - モブトエキストラ

『使者』

この作品を読んで気になったのが「ディズニー」という単語が出てくる事。
この作品が書かれたのが昭和33年だから西暦だと1958年ですね。
調べてみるとこの年代のディズニー作品はーー
1950年 シンデレラ
1951年 ふしぎの国のアリス
1953年 ピーター・パン
ーーといった感じ。
そんな時代に安部公房さんがどんな作品を書いたのかというと、火星人がやってくるという話。
主人公の奈良順平は新聞のコラムを担当している批評家で、宇宙ブームが起きた時に持て囃された。しかし、宇宙ブームは過ぎ去ってよく分からない文化団体の講演会に招かれ、そこに火星人がやってくるという内容です。

P93
「私は、先生に賭けたんです。先生は、宇宙人の存在を、信じていらっしゃるんでしょう。私がその宇宙人なんじゃありませんか。おねがいです、どうか私につき合って下さい。」

奈良順平は自分の話を理解できない人間を見下してるのですが、結局火星人の力になる事はせず、気が触れた人間がいると警察に通法してしまうというオチ。
ユーモラスで思考実験をしてるような作品でした。

『透視図法』

主人公ぼくと老人について書かれた〈現実〉
ぼくがベッドの下の男の靴と上着を盗もうとする〈盗み〉
ぼくの作業場の外で壁にもたれかかり、泣きわめく女と面倒臭そうに諭して連れて行く男の会話を描いた〈泣く女〉で構成された短編です。

P107
「夢のない、豚の仲間だと分った以上、あぶなくって、とてもまかせたりはできませんよ……」
〈中略〉
「うるさいねえ……夢なんていう、飯のかわりにもならないものを、誰がほしがったりするもんかね。」

人間は胃袋の酸だけで砂糖に変えているのだから、おがくずを酢の中に漬ければ砂糖ができるだろうというのが老人の夢で、20年も漬け込んでいる。
それに対して下段の男が夢なんて飯のかわりにもならないと言い放ちます。
そして、盗み盗まれる現実があり、恐らく娼婦に身を落としたのではないかと思われる女の泣き声とヤクザと思われる男の会話が聞こえるという流れです。
タイトルの透視図法というのは絵を描く時に使うパースの事。そこに当てはめると、夢が遠くにあり、現実が近くにあり、人間は消失点に消えていくという肉付けでしょうか。

『賭』

P153
「君、現代を動かしている真の政治家とは誰か、知っているかね?……いや、知るまい……一班の人は今だに代議士や大臣どもが、政治家なんだと考えている……とんでもない話だよ……現代の舵をにぎっているのは、われわれ宣伝業者なんだ」

最大9次下請け、564社関与 持続化給付金「中抜き」批判の電通再委託問題 経産省が検査の最終結果公表:東京新聞 TOKYO Web

安部公房さんには申し訳ないが、広告代理店は現代の日本の腐敗を促進させる業種なのでピキピキしちゃって、読んでいて怒りしか湧いてきませんでした。

( *`ω´)ピキー

『なわ』

メインディッシュです。

物語の舞台となるのは死んだ道具たちの墓場。そこで番人をしているのが62歳の男。片膝はリウマチに蝕まれていて、墓場に忍び込む子供達が手に負えない。
男は三畳間の広さの小屋の中で、壁に空けられた穴から子供達を監視しています。
その視線の先には10歳前後の子供が5人いて、無理やりに仔犬を引きずり回して、仔犬が射精するのか実験した後にボイラー罐(かん)の中に仔犬を閉じ込めて、これがライオンだったらどうする?なんて話をしていました。
そこへ2人の少女が川の中から現れました。10歳か11歳の姉と9歳か8歳の妹。
番人がトイレに立って戻ると、一人の男があれは私の娘で連れて帰らなければいけないと主張します。その間に穴の向こうではボイラー罐から助け出された仔犬が、姉妹のロープで殺されてしまいます。
仕方なく番人は木戸を開けて男を中に入れるのですが、姉妹は父親に殺されると身の危険を感じて逃げていた事が分かります。

P190
「その靴買ったら、死なない?」
「分からんやつだな、だから言ってるだろ、おまえたちが生きてるあいだは、父ちゃんも死ぬわけにはいかんのだ!」

そもそも父親は、人生は辛いから殺してやろうという、解脱っぽいニュアンスの動機を話すのですが、どう考えても口減らしにしか思えない。
姉妹が100円玉を持っていると言うと自らが履いてるボロ靴と交換しようと言い、100円玉を受け取ると裸足のまま競艇に向かうのでした。
父親が居なくなった後、番人は姉妹にそれぞれ100円玉を与えます。しかし、そんな事は気にもとめずに妹がボイラー罐の中に海があると言い出し、番人にも海が見えてくるのでした。(この場合についてはどう解釈すればいいのか分かりません。子どもの豊かさを表現しているのでしょうか)
夜になり姉妹が家に帰ると父親が寝ていて、2人は昼間に仔犬でそうしたように父親を吊り上げて、父親の枕元にあった何枚かの千円札といくつかの100円玉の中から、100円を取ってボロ靴を添えました。
そして物語は次の文章で終わります。

P196
「なわ」は、「棒」とならんで、もっとも古い人間の「道具」の一つだった。「棒」は、悪い空間を遠ざけるために、「なわ」は、善い空間を引きよせるために、人類が発明した、最初の友達だった。「なわ」と「棒」は、人間のいるところならば、どこにでもいた。
いまでも、彼等は、まるで家族の一員のように、すべての住居に入りこみ、住みついている。

難読!
作品のタイトルは『なわ』ですが、私だったら実存的であり、あの世を見せる『穴』にしてるかもしれません。競艇で勝ったのか父親の枕元にはお金があって、大穴を当ててるわけですからオチにも使える。
まず気になったのは「道具の墓場」
役に立たないものが殺されていくという修羅の空間。人間も道具として扱われるという意味合いが込められているように思います。その場所で仔犬が殺され、連れ帰る為にやってきた父親は苦悩から救うために娘達を殺そうとしていた背景が透けて見えます。ここに仏教的な匂いがするのですが、ストーリーのラインとしては番人が姉妹に100円玉を与えているというのがギリシャ神話のカロンっぽい。墓場に行くには川から行くか、番人が管理してる木戸からしか行けないわけですが、父親はお金が無いのに墓場、つまりは冥界に行ってるんですよね。だから姉妹が父親に死を与えているのでしょうし、『誘惑者』と同様に追う者と追われる者の逆転劇でありつつ、資本主義に追われて人間が堕落していく事と、ギリシャ神話と仏教とが見事に組み合わさったものだと思います。
それとこの作品は『DEATH STRANDING』に影響を与えた事で有名だったので読めてよかったです。海が見えるというシーンがビーチに繋がっているのかと発見できました。

『無関係な死』

P216
死体を背負いこんだものの負けである。いくら無関係だと言いはってみても、死体がその部屋にあったという事実には、いずれかないっこないのだから。そこで彼、もしくは彼女には、あらためて死体と無関係であることの証明が要求されることになる。あの、あまりに明白すぎて、かえって手のつけようもない不在証明を。

表題となっているこの作品は、ある日、自分の部屋に帰ったら施錠してある自宅の中に見知らぬ男の死体があったという話。警察に連絡すれば自分が捕まる可能性が高くなる。一体、誰が自分に死体処理を押し付けたのか…というミステリー要素がある作品です。ただ一人芝居なので、表面だけをなぞって読むと眠くなります。
しかし、この死体が自分の未来の姿だとしたらと考えると表情が変わる。
誰にでも必ず訪れる死の形として描かれたのだと思います。

『人魚伝』

P238
物語の主人公になるということは、鏡にうつった自分のなかに、閉じこめられてしまうことである。まわりをとりまいているのは、ただ過去の背景だけだ。向う側にあるのは、薄っぺらな一枚の水銀の膜にしかすぎない。
〈中略〉
息をひそめた囁きや、しのび足が求めているのは、むしろ物語から人生をとりもどすための処方箋……いつになったら、この刑期を満了できるのかの、はっきりした見とおしだというのに。

『人魚伝』はこの短編集の中で一番面白かったです。全てを読み終わってから、冒頭のこの文章を読むとスゲーことが書かれてるのでございますよ。
一言で言うと、「幻想を見せるだけの小説は人生を豊かにするとは思えない。今から俺っちが幻想を通じて現実を見せてやるぜ!」と安部公房さんは読者に言ってるわけです。(ちがったらゴメンね!)
つまりは世にも珍しい「魅せプ小説」だと私は解釈しました。
この精密な時計を分解しましょう。
クラッシャークラッシャー

主人公ぼく:1年以上も人魚と同棲した事により、緑の波長に反応する特殊な緑色過敏症という病を患う
人魚:変温動物。緑色でマグロのようにツルツルしてる。淡水も余裕。

1.人間と人間でないものの境界線はどこに引かれているのか?
2.あなたの言ってる事が本当ならば人魚を捕まえれば金になるby医師
3.サルベージ調査で人魚(彼女と呼んでいる)と出逢った
4.彼女は水死体を食べて生きていた可能性が高く、骨が一箇所に集められていた事から知性を感じ、コンタクトを取る方法を考える
5.サルベージ調査に行くと見せかけて、泳いで近くの町の肉屋で牛肉2kgを買い彼女に与える。恐るべき歯によって、肉は紐になりウドンのように啜っている。主人公はその食欲から性欲を感じる
6.サルベージ調査の近くにアパートを借りて風呂に彼女を連れてくる計画を立てた
7.計画の実行
→人魚は理解したかのように自ら箱の中へ
8.いつの間にか箱の中に自分がいて、彼女が引っ張っている幻覚に襲われる
9.性行為はできないので、彼女の眼を舐めて涙を吸う変態生活が始まる。それから記憶を失う事が多々あり、気付いたら自分がもう一人現れた
10.くじの結果、主人公は労働。コピーは人魚を手に入れた。イチャイチャしてんじゃねーよと中を覗くとコピーは食われ、転がってる足首からコピーが再生。検証の為に殺害
11.職場にコピーから電話がかかってきて、16人に増えてると言い始める。主人公は殺人犯がいると警察に連絡してコピーを処理。同時に自らも社会的に死ぬ事になる。隠しておいた人魚と再会し、涙が出なくなるまで眼球を舐め回したかと思えば左右の眼をナイフで突き刺し、人魚はミイラに。そして主人公は緑色過敏症になりました。
ロマンスがあったので気付かなかったが、飼われていたのは自分であって、今は主人を失った家畜のようだ。

こんな感じ。
1は恐らく作者が目にしたであろう、物乞いをする傷病軍人に対する世間の眼差しを反映したもの。
2は資本主義
3で残骸を引き上げる作業の中で緑色の人魚に出会う。ここで思い当たるのは「コモン君がデンドロカカリヤになった話」との類似性ですよね。緑だし。
4の注目点は人間を食べて生きているという生態
5は主人公が恋愛スケベモードに突入する段落です。面白いのが以下の文章。

P261
緑の海の、緑の波間を、緑の風が吹きとおる。

↑君の色に染められちゃったぜ!的な?
いやいや、欲望を刺激して肥大化するのが資本主義です。すっかり価値観が上書きされてしまったわけです。

6は計画を実行に移すフェーズで、主人公が「お金」を使って大工のおっちゃんを動かすのがメイン。木箱を頼んだのにおっちゃんはドジっ子属性で、主人公はどうみても棺桶を手に入れる。オチが手招きしてる感が面白い。笑
7は人間ホイホイ
8は急に生活感が出てくる段落で、印象的だったのは以下の文章。

P281
部屋にたどりついたのは、四時半だった。深夜放送のラジオが、なにやら、割箸折りの競争でもしているような音楽をやっていた。

↑昭和37年のラジオってどんな番組なのかと考えてしまいました。箸を折るような音というのは、きっとドラムスティックの打音。競争という事はBPMは速そう。
気になって1962年の第5回グラミー賞を調べたら、トニー・ベネットが受賞していました。
Tony Bennett / Lady Gaga(トニー・ベネット&レディー・ガガ)|『チーク・トゥ・チーク』より7年!2人が再度タッグを組み、2枚目となる共作ジャズ・アルバムをリリース|国内盤オンライン限定予約ポイント10%還元 - TOWER RECORDS ONLINE
そして今年の10月にまたレディ・ガガとアルバムを出すというではありませんか。やべー! でも、ライブパフォーマンスはドクターストップがかかったそうで。
何の話だっけ…あー人魚、人魚。
9では人魚の涙についての記載があります。緑色でビタミン剤にカビが生えたような匂い。そして少し塩辛いらしい。ドクターペッパーみたいなもんでしょうか? 癖が強そう。
性行為ができないので、唯一の粘膜である目玉を舐めるという変態描写は撒き餌で、恐らくこれは実存主義の見る見られるの関係。いかに瞳の牢獄に抗うかというのが裏テーマ。だから最後に目玉突き刺すのでしょうね。
10で資本主義に組み込まれた主人公が、資本家にとって労働者は代替可能な存在でしかなく、愛もクソもねーじゃねーかと搾取の構造に気づく
11で反乱を起こして終了。

ミステリアスな共同生活という点では『砂の女』とも似ています。
また『デンドロカカリヤ』の主人公は植物になってしまいましたが、こちらは人魚を殺して、どうにか自分の物語を取り戻そうとしています。これは大きな違いですね。面白かったです。

もしこの作品を映像化するなら星野源の『不思議』をテーマ曲に夫婦で共演して欲しいなと空想します。素っ裸の星野さんが16人現れて新垣さんにうどんみたいに喰われる。NGだったら、吉岡里帆さんに出てもらってどん兵衛とコラボしたりして。「東洋水産」って海でロケするために存在するような名前だし。
ただ、星野さんが新垣さんor吉岡さんの眼球を舐めてナイフを突き刺すという描写はエログロ以外の何物でもないから、ネットどころか天地が荒れるでしょう。緑色のネットの海で緑色の暴風雨が吹き荒れる。じゃあダメかぁ…。

幼い頃の記憶
今夜食べたいもの 何もかもが違う
なのになぜ側に居たいの
他人だけにあるもの

船内の腐乱死体を食い漁る描写も相当グロいだろうけど、安部公房さんはそこを突きつけてくる。1の「人間とそうでないものとの違いは何なのか」
なぜ『孤独のグルメ』の松重豊さんの食事が良くて、新垣さんor吉岡さんが星野源の臓物を食い破って肉をうどんみたいに啜るのが事務所NGなのか…。

ダメにきまってんだろ!笑

きらきらはしゃぐ この地獄の中で

『時の崖』

主人公の木村はボクサーで上位ランカーを相手にしつつ、ランキングの6位をキープしている。負けてしまえばあっという間に転がり落ちる3分間の連続を「時の崖」と表現しています。
木村はその日の行動履歴や食べ物や練習メニューを記録しているのですが、すでにパンチドランカーで記憶がもたない事を窺わせる書き方をされています。他の作品と比べて文章の量は多くないのに、読んでいると痛みがあるというか…。
『無関係な死』が逃れようのない運命だとしたら、『時の崖』は運命と闘う物語です。

おわりに

前回に読んだ『水中都市・デンドロカカリヤ』では、魚を使った比喩表現が多かったと感想を書きました。今回は魚が2匹ぐらいしか出てきません。その代わりに「唇」がやたら出てくる。唇を突き出すとか書かれると、私の頭の中にいかりや長介が出てきて「エンヤーコーラヤット♬ドッコイジャンジャンコーラヤ♬」と踊り出すので病気だと思うんですけど…。(ドリフ世代でもないのに)

今の私の読解力ではーー
1位『人魚伝』
2位『なわ』
3位『使者』
4位『誘惑者』
あとはイーブンといった感じでした。(電通は論外)
主人公に名前が無かったとしても、脱走兵、囮捜査、ミイラの先祖、火星人、スラム街、広告代理店の建物、親殺し、死体、人魚、ボクサーと、キャラ立ちしてる部分はあります。でも、『人魚伝』と同じぐらいの作品がもう一つ、二つぐらい収録されていて欲しかったなというのが私の全体としての感想です。
でも、こうした思考実験が後の作品に継承されている形跡もあるので、書き続けるという連続性を評価するほうが正しいのかもしれません。
以上、サラサラ書きました。
(おわり)