モブトエキストラ

左利きのメモ魔が綴る名もなき日常

「夢」を扱う詩を読んだ話。

最近「夢」について歌われてる、或いは「夢」というワードが出てくる曲を読む事にハマってる。これからズラズラと書き綴っていくが、これがまぁとても面白い。
ざっくり分けると「現実→夢タイプ」「夢→現実タイプ」「夢の描写タイプ」の三つがある。また、「夢」といっても「記憶」として使うのか「理想」として位置付けるのかで時間軸も、過去と未来で異なってくる。
まずは大半を占めている「現実→夢タイプ」について。

「現実→夢タイプ」

大瀧詠一
夢でもし逢えたら 素敵なことね
あなたに逢えるまで 眠り続けたい

誰もが耳にした事があるであろう名曲。
女性視点にする事で、ラブソングでありながら甘ったるさがなく、絶妙なバランスで夢の儚さを含有する。(逆に『恋するカレン』は男性側の片思いを描いてる)

MISIA
今夜夢の中 どうか逢いにきて
その願いがもし叶うなら
信じてもいいよ 昔の話を
あなたの肩に触れた風の中
私の心の奥には 春の花が咲いている

友人関係から恋人になるか、ならないか。告白したらBボタンキャンセルされてしまうのではないかという不安を抱えるモジモジソング。
「あなたの風に触れた風の中」という位置関係を示すところも切ない。ロマンチック要素を無くして説明するなら、バカな黒板消し担当が風上でバンバン叩いて、風下の生徒がむせ返る位置関係である。
二人の関係がどのように進展するかは分からないが、主人公の中にある恋心は確かであって、それを春の気配に例えている。「出会い」と「別れ」と「夢」だけでいくらでも作品を量産できそうに思うが、異常気象は季語も破壊するので文学的にも困ったちゃん。

kj)
月夜に降りつけた光たちの歌を白く尚
狂えるほどの星空に毎夜
震える頬の少しそばにいたいよ
願いただ… 夢で逢えたら

夢を扱う作品の多くはサウンドが優しいというか、丸みがあるものが多い。しかしこの曲はDragon Ashサウンド。イントロの口笛が心地よく、情景が浮かぶ歌詞と韻とが合わさって儚さが表現されている。

ACAね)
近づけるほど 夢で会えるかな
探さなくていい 探さないでよ
いつか 忘れさせてよ

『ヨルシカ』『YOASOBI』と共に夜の仁義なき闘いを繰り広げる『ずっと真夜中でいいのに。』のボーカルACAねさんのリリック。
「現実では会えないから夢で会う」という従来の流れとは違い、「思い出すのが辛いから会いたくない」のだ。痛みを引きずりつつも「忘れたいほど好きな人」を唄う。

吉田美和
わざと大きな声でさよならって言った
わたしはだいじょうぶ
夢で逢っているから

吉田美和さんは強がる乙女心を描く文脈で「夢」を使用している。悲恋ではあるけど、自分から切り出している点で「これでよかったんだ」というハッピーエンドにも取れる。また、個人的に注目しているのは幻影に順応するルートを開拓している点。

桜井和寿
今日も見果てぬ夢が僕をまた弄んで
暗いトンネルの向こうに光をチラつかす
叶うならこのまま 夢のまんま
もう現実から見捨てられても
構わないさ

吉田美和さんが開拓した順応ルート。
ここに住み始めたのが桜井和寿さん。
「高ければ高い壁の方が登った時気持ちいいもんな」と歌ってたあの桜井さんである。
安部公房の『砂の女』と似た心理描写があって、夢ソングの中では存在感が際立つ。

内村友美)
浅い夢も見れない 28時は
昨日の続き?今日の始まり?
肌をすり抜ける風 心撫ぜて
忘れさせてよこのモヤモヤを
今すぐに

こちらはlalalarksの『28時』のサビ。
主人公は眠れない状態にあるので、この記事のコンセプトとは少しズレているが、現実から夢を見つめているという点では包括される。SchoolFoodPunishment時代には『04:59』という曲も残していて、みんなが寝静まって世界が止まった状態の魅力が伝わってくる。

大橋卓弥
昨日見た夢の話など興味ない 退屈さ
まわりくどい君の話し方なら なおさらさ

『君の話』も夢を見ない。常田さんがアフロで丸みを出し、大橋さんが尖っていた初期の作品だ。今はどうか分からないが、その頃の大橋さんは「宵越しの金は持たない」というロックンローラーっぽい生き方をしていた。(情熱大陸で見た)
スキマスイッチには名曲がたくさんあるが、この作品はのっけから辛辣だ。興味ないと否定した後に「なんでできないんだよ!」と精神攻撃を繰り返す。笑
時代が変わった今この歌詞を見ると「小姑みたいな事を言うミソジニー」という謎のキャラに感じられてならない。
あ、そうそう。時代が変わるでいえば、事務所の先輩である山崎まさよしさんはコロナ禍の自粛生活でDIYにハマり、焼き芋量産パパになっている。

伊集院光とらじおと山崎まさよしと。自作のウッドストーブガスで息子さんの大好きな石焼芋づくり5月27(水)放送分

中島みゆき
ありえないってことがわからない訳じゃない
ありえないからこそ夢に見るものでしょ
説明はつかない 理屈にも合わない
ありえない話を夢と呼ぶものでしょ

多くのアーティストが現実と理想、現実と幻想の中でストーリーをスクロールする中、まず「夢」という言葉の前提から入るのが中島みゆきさんである。
なんて独特なのだろうか。尖ってる時の大橋さんとディベートを繰り広げたら100%勝つんじゃないかと思う。
ラスボス。

ILMARI
真昼に見た夢 ぼやけた
真昼に見た夢 そのなかへ

KREVA
消えていく夢の数
煮え切らない気持ちに爪を噛む

Hip-Hopにおける「夢」は過去ではなく、スラム街や何者でもない視点から理想や希望を語る文脈で使われる事が多い。RIP SLYMEの『真昼に見た夢』は現実逃避の意味合いで使っているのが特徴的で、同じ時代を生きていたKREVAさんも悔しさを表現する文脈で踏んでいる。

ダイゾウ)
そこには夢が溢れて
未だ見ぬチャンス 隠れてる
なんて 話が違うね実際
やり直せるなら もう一回
この都会 凄く冷たくて早い
周りから見ると 触れたくて甘い
いずれ自慢させて あげるから
言った僕が 全てを投げてしまう

現実が夢に近付くにつれて夢が消えていく。そんな挫折を全面に扱っているのがケツメイシの『東京』 である。メロディラインは美しく、それでいてストーリーがちゃんとあり、地団駄を踏むかのように韻も踏みまくっているのでお腹いっぱいになれる。

スガシカオ
部屋の中 テレビもつけずに
真夜中に耳をすませていると
どこかでまた誰かが 君を裏切ろうとしている
君のユメまでいつのまにか食べ尽くそうとしている

『あだゆめ』はスガシカオさんがスランプに陥った時に生まれた名盤『Smile』に収録されている。
面白くない大衆歌はチープな夢や希望を量産、セルアウトしてきたが、この作品はアンチテーゼであり、悪い人間が理想に向かっていく無垢な存在を搾取する薄気味の悪さが描かれている。スガさんの声がいいので聞き終わると霧のように晴れていく。不思議な良薬。

まふまふ)
夢のまた夢か見果てぬ夢
こんなゴミのような世界でも

夢の揮発性は言葉の性質を駆使して表現されてきたが、時代が進むとシンガー側が声でそれを表現しだす。私はアニソン歌手やインターネット上で話題の歌手であったり、Vtuberの事をほとんど知らない。そんな私でもまふまふさんの声はポテンシャルの塊に感じる。強い言葉でも印象を変える力があり、他人が真似しようと思ってもできない。それが才能。

小渕健太郎
てっぺんが見えないほど高い
フェンスの向こう側へと
夢だけ先に放り投げてよじ登り
祈りの陽を見つめていた

浅いコブクロのファンなら『蕾』を選ぶところ、にわかヘビーリスナーの私は『風見鶏』を選ぶ。風見鶏は風が向いている方向を向くという事に気付いた小渕さんが書き上げたチャレンジャーに捧げる歌。
うろ覚えだが、二番で出てくる丸文字のエピソードはお姉さんの話だったと思う。(違ったらごめんね)

Nakamura Emi)
そう オリジナルの夢は助けて誰か
私の背中を押してって願うもの
己を信じろ 腕枕の眠りおいて
必死すぎて気づくと床で寝る
夜がいつか上がる花火に
点火することになるんじゃないのか

Nakamura Emiさんの『YAMABIKO』を聴くたびに、なぜだか私は『バガボンド』で武蔵が釘を踏むシーンを思い出してしまう。(天下無双と言いながらなんてザマだと自分の慢心を笑うシーン)
地に足ついた推進力と、聴くものに勇気を与える力があり、何より女性のシンガーでこのピッチ感覚で歌いきれるスタミナに感動する。それぞれの道を行けという言葉の中にはウーマンリブが包括されていると私は思う。
歌うキッカケは当時の彼氏が聴いていたRHYMESTERであるとインタビューで語られている。そして、現在所属しているオフィスオーガスタからのオファーで、竹下ピストルさんのライブに連れて行かれたエピソードは『痛てぇ』の中で歌われてる。

藤原基央
健康な体があればいい
大人になって願う事
心は強くならないまま
耐えきれない夜が多くなった
少年はまだ生きていて
命の値段を測っている
色々どうにか受けとめて
落書きの様な夢を見る

BUMP OF CHICKENの作品で「夢」を扱っているものは少ない気がする。藤原基央さんは天体気象マニアだからなのか、『宇宙飛行士への手紙』では夢が具体的。乗り物を扱う作品も多く、フィクションであっても肉付けされていて抽象度が低いのが特徴。科学的な目を持ってると言った方がいいかもしれない。
『supernova』は自己を確認する作品になっていたが、『HAPPY』は心身の成長を祝う作品になっており「落書きのような夢」という表現がされている。青臭い理想を鼻で笑うのではなく、夢を見ていた頃の自分の価値基準を大切にしつつ、みんなで大人になっていこうという優しい眼差しだ。
「オレもこの人みたいになりてぇ!」と藤原基央さんに夢を魅せられた少年が米津玄師さんである。

忌野清志郎
カーラジオからスローバラード
夜露が窓をつつんで
悪い予感のかけらもないさ
ぼくら夢を見たのさ
とってもよく似た夢を

言わずと知れた『スローバラード』
何のセンスもなく書けば「僕は昨日彼女と車中泊をしました。おしまい」で終わるところ、忌野清志郎さんの手にかかれば名曲になってしまう。言葉は要らない。二人で見る夢の権現。

RHYMESTER
オレは夢見る キミは夢見る
たとえ夢でも 正夢でも
そのうわごと 寝言を 叫びに変えろ

東日本大震災と東電原発事故が発生した後、誰もが言葉を失った。果たして私達が抱いていた幻想は何だったのか?
アルバム『ダーティーサイエンス』に収録されている『ゆめのしま』には、実存を見つめて言葉を取り戻す力がある。
J-WAVE Liveで披露された大橋トリオアレンジバージョンの『ゆめのしま』は人間の限界に挑戦するかのような技巧を聴く事ができる。

岸田繁
愛し合うことの寂しさと
思いやることのぬくもりを
ここに置いておけばいいんだ
夢見たように飛んでゆけるから

『魔法のじゅうたん』のラストに出てくる「夢」はパートナーと共に見る理想を指している。ただ、比喩表現が独特なので全てを理解するのが難しい。例えば「泣かないでピーナッツクリームになったピーナッツ。パンとバターナイフで塗って食べよう」という部分が、二人で朝食を食べる際にケンカして泣いてしまったのか、或いは『愉快なピーナッツ』の続きなのか。何にしても名曲。

米津玄師)
この朝に二人 夢を見た
飲み込むのが 怖い程
光を呑んだ 淡い夢

「米津玄師と言ったらレモンでしょ?」と思うかもしれないが、夢をもっと主体的に捉えているが『ゆめくいしょうじょ』という作品。この歌詞も解釈が難しい。絶望的な現実に取り残された子どもをコウノトリが聖母の元に運んで、その子の悪夢を食べるというストーリーだと私は解釈してる。普通の「君と僕」の関係性とは違って人間を凌駕する童話性がありながら、ハッピーエンドにせずに最後は朝の光も吸収するぐらいのドス黒い夢で終わる。(痛みを分かち合ってはいるが)
御都合主義を排斥するかどうかという点は、音楽に関わらず個性が出るところ。世界に散らばる童話をリメイクし、何でもかんでもハッピーエンドにしてしまうD社が好きな人には合わないかもしれない。

森山直太朗
消せない記憶は朧な現に揺られて
夢みたいな夢の夢が覚めるまで
傍らで歌ってたい

『どこもかしこも駐車場』で無限増殖する駐車場に嫌気がさして「火星に帰りたい」と嘆いていた森山直太朗さん。その前には『夢みたい〜だから雲に憧れた〜』の中で夢の多重構造を構築している。
現実だと思ったら夢だったという夢の無限ループはわりとあるが、夢の中で夢を見るという奥域を表現できるのは流石詩人だなぁと感動する。

中村佳穂)
深い記憶の底で
明け方の丘で
出会った頃の君とも夢をみる

山口一郎)
行かないで
淋しい日暮れに涙
行かないで
淡い空 見ながら涙
行かないで
悲しい日暮れに涙
行かないで
淡い夢の終わりが見たいから

明け方の丘で夢を見ているのが中村佳穂さんの『q』で、日暮れの海で夢を見たいのがサカナクションの『M』である。
同じ時代に生きるアーティストが、タイトルの似た別の夢を描いている。座標軸が変わると全く違う物語になるのだ。
ここにスカンクとゾリラとラーテルの関係を感じる。

平井堅
ねぇ いつかキミは君の夢を忘れてしまうのかな
その時は瞳逸らさずにキミと向き合えるのかな
ねぇ こんな僕はキミのために何ができるのかな
言葉にならない思いだけ強く手を握ろう

平井堅さんの『思いが重なるその前に…』では、幼少期の純粋な存在に対する眼差しが向けられている。ラブソングでなくとも、夢をテーマとして扱える一つの形。

福山雅治
夢のような人だから
夢のように消えるのです
その定めを知りながら
捲られてきた季節のページ

この曲は東野圭吾作品『容疑者Xの献身』に使用された。主人公の数少ない友人である数学者が、DVに苦しむ母子家庭に介入してしまう話である。
歌詞の冒頭から「夢のような人」という抽象度の高い言葉が使われている。消えるのを知っている点を踏まえると余命が幾ばくもない状態であると読める。さらに進行すると死者との繋がりになる。
映画の中の数学者は亡くなっていないので、解釈として正しいのはMVの老人の視点だろう。
「夢」は時間軸を変える事のできる装置であるが、この作品ではあの世とこの世を繋ぐ僕と君、あなたと私の詩になっている。堤真一アリナミンを飲みながらゲロ泣きするわけだ。(はい、嘘です)

鬼束ちひろ
夢かも知れない貴方を
愛することが罪ならば
私は崩れよう
世界がこうして窮屈なら
叶うはずもない

福山雅治さんが「夢のような人」と表現する他方、鬼束ちひろさんは「夢かもしれない貴方」と表現する。あなたを愛する事を世界が許さないならば、私は崩れようと。
身分違いの恋についてはイギリスの貴族や韓国の宮廷ドラマで描かれる事が多い。しかし「崩れる」である。
ここには悪魔に恋した天使のような、爆発せざるを得ない何かがある気がしてならない。腐敗した世界に堕とされた鬼束さんならではの言葉遣い。

「夢→現実タイプ」の作品

宇多田ヒカル
夢の途中で目を覚まし
瞼閉じても戻れない
さっきまで鮮明だった世界
もう幻

名盤『Fantome』に収録される『真夏の通り雨』の冒頭のリリック。
「夢」に加えて「幻」という言葉が使われ現象の移行が表現される。主人公は夢という装置を使い、幸せだった過去を見ている。しかし、現実に戻されてその光景が過去になる事に対しては切なさを覚えている。この文章表現の美しさは群を抜いてるし、味わい深すぎて死ぬまでティファールの電子ケトル注いでドリップできそうだと私は思う。
また、「通り雨」と比喩しながら、「降り止まぬ真夏の通り雨」と歌われているのも特徴である。
前段の「思い出たちが不意に私を乱暴に掴んで離さない」というフレーズは、藤圭子さんが亡くなり、出棺する際に霊柩車の前に飛び出て「フラッシュを焚く」マスゴミを文学的に綴ったもだと私は解釈している。
苦しみの塊でありながら、この作品の文章表現は群を抜いてる。トラウマを植え付けられた報道番組のテーマにするだなんて素晴らしい勇気だと私は思う。
文句なしの優勝でぇす!!!

桑田佳祐
冷たいシャツは夢の跡
誰かが残した蜃気楼
今日も通り雨 夏が遠ざかる
愛しい人は帰らない

宇多田さんと同様に季節は夏。
大人の恋愛を描いたセクシーなサザンの一曲。
『Bye Bye My Love』では「夢」という単語こそないものの「華やかな女が通る幻の世界」という、どこか『君だけに夢をもう一度』に繋がる世界線が歌われている。「夢」と「幻」の組み合わせはどうしてこう魅力的なのだろうか。

星野源
夢を外へ連れ出して
妄想その手で創れば
この世が光 映すだけ

星野源さんが放送作家の寺坂直毅さんを歌った作品。
ほとんどの場合、夢というのは理想であって、現実の上位互換に位置付けられるが、この作品では夢の中にある美しいものを現実にして、この世に光を創っていこうという夢と現実を逆転させる作品になっている。
寺坂さんには自殺しようとしていた過去があり、その寺坂さんと知り合ったJ-WAVEの『RADIPEDIA』時代に星野源さんは死にかける。(病室で書かれたのが『地獄でなぜ悪い』であるのは言わずもがな)
寺ちゃんの中にある素晴らしい才能を表現してごらんという優しさが溢れた作品。

ゴッチ)
まだ覚めない夢が枕元で僕にタッチした
朝の匂い 街が動き出す 画面の天気予報

草野マサムネ
ハネた髪のままとび出した
今朝の夢の残り抱いて
冷たい風 身体に受けて
どんどん商店街を駆けぬけていく

『或る街の群青』と『正夢』の食パン少女感。ロックサウンドによって物語がスクロールしていく力強くさは、夢から覚めて現実に向かうストーリーとぴったり。そして両曲ともにイントロがカッコ良すぎる。この二人が『THE FUTURE TIMES』で対談した時に、ニヤニヤしながら読んでしまった。

YUKI
バイバイ長い夢
そこへ行くにはどうすればいいの?
迷子になるよ 道案内してね

夢を抜けて現実で会う能動的な姿勢。
歌詞のみだと押しが強い印象を受けるかもしれないが、YUKIさんのポップセンスと蔦谷好位置さんのサウンドがグイグイ感を脱臭。誰もが田中邦衛になりルールルルと呼び始める。(いや、待てよ。田中邦衛に例えてもそろそろ通じないかもしれない)

矢井田瞳
あなたは容赦なく正しいことを言う
私が欲しいのはその向こう側なの
夢から覚めて会いに来て
証しが欲しい
求めあうなら何よりも強いはずでしょう

YUKIさんが夢から覚めて会いに行ったのと逆に、矢井田瞳さんは本当に愛しているならとっとと来いという態度。
世間一般にテンプレート化されている不倫の一例は「〇〇ちゃんが一番だよ。ヘヘッ、妻とは別れるからさぁ〜」という男である。こんなクズのどこを愛しているのか私にはさっぱり分からないが、歌詞にある「その向こう側」を当てはめると修羅場にしかならないと思う。だから夢のまま終わる事のほうが多いわけだが、修羅場の向こう側を見てみたい気もする。
ただ、元カレや元カノとの関係が続く人間はサイコパスが多いという論文もあるようで、怪しい歌になりそうだ。

元カレ、元カノと友人関係を築ける人はナルシストでサイコパスな傾向があることが判明(米研究) : カラパイア

ハルイチ
あなたに逢えた それだけでよかった
世界に光が満ちた
夢で逢えるだけでよかったのに
愛されたいと願ってしまった
世界が表情を変えた
世の果てでは空と海が交じる

私は『サウダージ』『アゲハ蝶』『シスター』を放浪記三部作と呼んでいる。(今思いついたんだけどネッ!)
現実的には難しいから夢で会うのであって、現実的な関係を願うほどに切なくなる。なぜなら主人公は旅人だから。
以前、作家の町田康さんが芸術と生活は同居できないという話をどこかでされていたが、まさにそれで。
ちなみに『シスター』の主人公は天涯孤独で、心にぽっかり穴が空いた状態。そこに教会の祈りと鐘が響いているという詩。町田康さんの話に付け足すなら、宗教であれば生活と芸術の接着剤になれるのだと私は思う。

杉村楚人冠
今さし昇る日の影に
夢からさめた森や山
あかい光に染められた
遠い野末に 牧童の
笛が鳴る鳴る ぴいぴいと

音楽の授業で誰もが歌ったであろう『牧場の朝』の三番にある部分。

森や山が夢から覚めるという表現は詩的で、自然と切り離された都市生活を営む人間の視点から見てる限りはこの表現は絶対的に無理だと思う。
つまり、杉村楚人冠(すぎむらそじんかん)氏は『命』の循環そのものを見ていて、現代人はこの感覚が欠けているのだと思う。

「描写報告タイプ」

阿木燿子
月は光を朝に隠して影だけが
白く細い線になりました
太陽が今たくさんの雲従えて
きらめきながら昇ってゆきます
そんな そんな夢を見ました

『夢先案内人』の一説。
あなたと過ごせるなんてまるで夢みたい!という目にハートのフィルター加工が施された状態の実況動画。歌う人によっては『てんとう虫のサンバ』的なおのろけソングになってしまうだろうが、山口百恵さんはそうならずに叙情詩のまま完遂する。そしてこの名曲は息子である三浦祐太朗さんに歌い継がれている。

GRASS ARCADE)

やけに長い夢の中では
眉をひそめたあなたが
相変わらず牙をむいて
かみついて離れない
一切の罪を背負って
ここまで這ってきた僕に
あなたは何を求めるのでしょう

この曲は『BRAVE』というタイトルで、GRASS ARCADEというバンドが歌っていたらしい。このバンドに対する知識はほとんどないのだが、私が子どもの頃、夕飯の唐揚げを食べていた時、アニメ『金田一少年の事件簿』からこの曲が流れてきた。箸を持つ手が止まり聴き入ってしまった。感想は「なんちゅう曲じゃい!」である。子どもの頃なので「眉をひそめる」が「繭を潜める」だと勘違いして、てっきり蜘蛛のバケモノに噛み殺される歌だと思っていた。ミステリーじゃなくてもはやスプラッターであるが、わりと金田一少年の事件簿はグロテスクな事件が多いのでそれも成立しうる。言葉の面白さよ。

堀込高樹
帝都随一のサウンドシステム響かせて
摩天楼は 夜に香る化粧瓶
千年紀末の雪
嗚呼、東京の空を飛ぶ 夢を見たよ

キリンジは形容し難いジャンレス感と文学的な表現が合わさって、正当な評価を下せる人間はいないと私は思う。(凄すぎて何が凄いのか分からず、地球代表のポップチャートでエイリアンが評価する感じ)
ただでさえぶっ飛んでいるのに、その中で見た夢が『千年期末に降る雪は』にで綴られている。
ふむふむ、わからん。でも凄い。

ティカ・α
トーキョーシティ 高層ビル並ぶ
トーキョーシティ 八百八町の
トーキョーシティ はとバスでGOGO
トーキョーシティ 夢と消えた都
妄想して 東京はよいとこ
妄想して 一度はおいでよ
妄想して 花やしきGOGO
妄想して 夢と消えた都

まるでキリンジの世界観で観光旅行している人がいる。相対性理論のフロントマンを務めたやくしまるえつこさんである。坂本龍一さんも魅了された奇天烈な世界観。しかし、リリックを見ると東京→高層→都→GoGoと踏んでいる。これは相当な策士。シュレックに出てくる長靴を履いた猫のように、瞳をウルウルさせて、可愛いでちゅねぇ〜と近づいてくる人間を一突きにする構図。鼓膜をハックされた人間は「ゔっ!やられた!」と曲をループする事になる。

おわりに

最初は代表的な作品を数曲選んで「夢って面白いよね。チャン♫チャン♫」で終わらせるはずが、コレを書くならコレも、この視点が欠けてるからコレもと、書くほどにどんどん増えてしまった。
そもそもなぜこの記事を書こうと思ったのかというと、少し前に米津玄師『感電』の中にある「ここいらで落とした財布誰か見ませんでしたか?」で脳内大喜利をやっていたのがキッカケだ。
井上陽水)探し物はなんですか?
米津玄師)ここいらで落とした財布誰か見ませんでした?
aiko)すぐに見つけてあげるよ。この目は少し自慢なんだ
桑田佳祐)午前八時の行合橋で死んだ蜥蜴を見ました
トータス松本)貸した金返せよ
ーーといった具合に。
で、これをツイートしたところ、まるで駅の階段でベビーカーを持ってくれるかのように、通りすがりの方が「金のない奴は俺んとこへ来い。俺もないけど心配するな」と、植木等でオチを付けてくれたのだ。私は感動と「それは盲点だった」というなんとも言えない気持ちになった。一つのキーワードに注目して作品を見ると、それぞれのアーティストが別の視点で全く違う事を歌っている面白さに改めて気付かされたのだ。
今回「夢」に注目するだけでもこれだけ多様な表現があり、視点や座標を変えるだけでこんなにグラデーションがある。
何より書いていて面白い。私の知ってる事なんて氷山の一角だろうし、探せばまた別の夢の詩があるだろう。別のキーワードで着目して作品を見たら、また別の楽しみ方があるだろう。

名曲は、読んでも楽しい。この不思議。
(おわり)