今回のパートではダメ男に焦点を当てて作品を読み解いていた。
首痛い系男子である直治は作中においてダメ男として描かれるが、設定としては帰還兵なのでPTSDにかかっていても不思議ではないし、薬物中毒になるのも無理はないと私は思う。
ただ、上原はどうしょうもないですけど…笑
帰ってきた直治にかず子は質問をした。
一つは母親について。それに対して直治はこう答えるのだった。
「早くしにゃいいんだ」と…。
かず子は質問を続けて、自分の印象について訊いた。
(笑)
太宰先生の尖った部分である。
直治という人間は「戦争から受けた影響」と「上原から受けた影響」のどちらの比重が大きいのだろうか?
環境の変化は戦争で、内面の変化は上原としたら、先に来ているのは戦争だから、物語を深めているのは上原だとしても戦争のほうがトリガーなので比重は大きいと思うんだけども。
ある日、かず子は直治の黒歴史を見てしまう。
そこに吐露されていたのは、嘘にまみれた社会の狭間で葛藤する碇シンジの姿であった。
焼け死ぬる思い。苦しくとも、苦しと一言、半句、叫び得ぬ、古来、未曾有みぞう、人の世はじまって以来、前例も無き、底知れぬ地獄の気配を、ごまかしなさんな。
思想? ウソだ。主義? ウソだ。理想? ウソだ。秩序? ウソだ。誠実? 真理? 純粋? みなウソだ。牛島の藤は、樹齢千年、熊野ゆやの藤は、数百年と称となえられ、その花穂の如きも、前者で最長九尺、後者で五尺余と聞いて、ただその花穂にのみ、心がおどる。
アレモ人ノ子。生キテイル。
論理は、所謂しょせん、論理への愛である。生きている人間への愛では無い。《中略》
デカダン? しかし、こうでもしなけりゃ生きておれないんだよ。そんな事を言って、僕を非難する人よりは、死ね! と言ってくれる人のほうがありがたい。さっぱりする。けれども人は、めったに、死ね! とは言わないものだ。ケチくさく、用心深い偽善者どもよ。
正義? 所謂階級闘争の本質は、そんなところにありはせぬ。人道? 冗談じゃない。僕は知っているよ。自分たちの幸福のために、相手を倒す事だ。殺す事だ。死ね! という宣告でなかったら、何だ。ごまかしちゃいけねえ。
しかし、僕たちの階級にも、ろくな奴がいない。白痴、幽霊、守銭奴しゅせんど、狂犬、ほら吹き、ゴザイマスル、雲の上から小便。
死ね! という言葉を与えるのさえ、もったいない。
戦争。日本の戦争は、ヤケクソだ。
ヤケクソに巻き込まれて死ぬのは、いや。いっそ、ひとりで死にたいわい。
人間は、嘘をつく時には、必ず、まじめな顔をしているものである。この頃の、指導者たちの、あの、まじめさ。ぷ!
後半では戦争についても触れられているが、全体的にみると衝動的な文章に読める。
これについて高橋源一郎さんはこう解説した…
「痛い 中二病」
太宰自身も青森の名家の生まれで、大衆と貴族の間にある壁に悩んだという。
学生時代は左翼運動が盛んな時期であり、太宰はマルクス主義に出会い「金持ちは悪」というブーメランを食らう。
新しい場所に自分の価値を見出そうとしたが、そこにあったのは「否定」であった。
その苦しみを直治の黒歴史に込めたのだという。
高橋源一郎さんによると、太宰の「貴族」の部分は直治に反映させ、「民衆」の部分は上原に反映させたとのこと。
その上で批判や否定をし合うわけで、とても納得がいく解説だ。
そして、「否定」を補完するのが「肯定」である。太宰はこの「肯定」をかず子に込めて、三人目として描いたのだ。
みすぼらしい一匹の老猿へと変容した上原を肯定することができるのは、その関心が単なる好奇心ではなく、愛があるということだ。
今回はこれで終了。
「斜陽」も次回が最終回。