人間は自由の刑に処せられている
前回の放送で実存主義の大まかな輪郭が分かった。
人間の生きる意味は個人によって後天的に定義付けられ、またそれを自由と呼ぶのだと私は解釈した。
今回は自由に焦点を当てて、実存主義の理解を深める内容だった。
✳︎こんな訳のわからないブログを読むよりも、サルトルについて記載されている海老坂先生のコラムを読んだほうがいいですよ。→名著48 「実存主義とは何か」:100分 de 名著
一方において神が存在しないとすれば、われわれは自分の行いを正当化する価値や命令を眼前に見出すことはできない。
われわれは逃げ口上もなく孤独である。
そのことを私は、人間は自由の刑に処せられていると表現したい。
番組冒頭の『人間は自由の刑に処せられている』というフレーズと『自由は素晴らしいと同時に怖いものでもある』というフレーズを合わせて思うのは、刑期を終えて自由の身となった人間が再び犯罪を犯すこと。
これもまた、自由に対する恐怖によって塀の中の安定を求める人間の性なのではと思ってしまいます。
何に対する自由なのかといえば選択ですね。
それによって利益と不利益が発生するわけですが、ここで抱く感情が不安です。
「存在が不安定だと不安という感情を抱く」と解釈すると分かりやすいでしょうか。
ピグレット状態ですね分かります。
まさに嘔吐の世界ですね←
ロカンタンの好きな人が愛人になってしまった
(JUJUっぽくね?)
嘔吐の主人公ロカンタンには憧れの女性がいた。
その人は偶然が繰り返される現実の中で『完璧な瞬間』を追い求める女優だった。
ロカンタンは彼女に会えば嘔吐から解放されるのではないかと考え、久しぶりに彼女のもとを訪ねた。
しかし、そこにいたのは「完璧な瞬間」を追い求めた彼女ではなく、金持ちの愛人となり偶然を生きる美輪明宏っぽいオバサンだったのです。(黙れ小僧っ!)
そしてロカンタンは答えにたどり着きます。
『これなのか、自由というのは?』
『私は自由だ。もう生きる理由が何もないのだから』
『私の試みた全ての生きる理由はなくなって、その他の理由はもう想像することもできない』
『私の過去は死んだ。ロルボン氏は死んだ』
『私は独りきり。独りきりで自由だ』
『しかし、この自由はいくぶん死に似ている』
過去もなく未来もなく、現在から現在へと移り行く実存するものの背後で、日々少しずつ解体され、剥げ落ち、死に向かって滑って行くこれらの音の背後で、メロディーは常に変わらず、若々しく毅然としている。
確かに自由というのは所属していない状態だから、確定的な何かで自分を保ちたいと考えるのは普通だ。資産運用なんてのもこれに当てはまると思うし、物質的にも希ガスは安定を求める。
「偶然」は「現在の性質」なので、人間がどう足掻こうが変えることはできない。
ロカンタンはそれに気付き、確定的な世界を創る為に小説家を目指すのだった。
規則正しいプログラムの中で安心を得ることができるから、人間は時間の概念に従い秩序を作るのだろう。
サルトルの生き方
番組の後半では作者であるサルトル自身について紹介されていました。
刹那的な恋をしたとしても、確定的な世界にはいつもボーヴォワールがいた。
また、サルトル自身は2DKぐらいの家で質素に暮らし、莫大な印税のほとんどは亡命してきた人々の為に寄付したという。
考えてみれば戦争というのは愚かな指導者の偶然が、個人から自由と確定的な世界を奪う行為なので、サルトルにしてみれば忌み嫌うものだったのではなかろうか。
∑(゚Д゚)ハッ
これと同じことを蛭子さんが言ってた。
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あー。だからギャンブルが好きなんだ。
蛭子さんはサルトルだったのか!