ラストとなる今回は大久保先生に加えてゲストに町田康氏を迎え「白痴」から坂口安吾を読み取るという内容でした。
ラストにふさわしい面白さで、アダチマサヒコさんの絵も良かったです。
体制秩序の枠をはずれ法も掟も無視して自力で道を切り開いていく生き方を、身をもって実践した坂口安吾。「無頼の精神」で時代に切り込んでいった安吾の思想はその後も脈々と受け継がれ、今も人々の心を揺り動かし続けている。安吾作品を愛読する作家・町田康さんは「白痴」という小説作品に安吾の精神や彼が後世に与えた影響を読み解くヒントがあるという。第四回は、町田康さんをゲストに招き、坂口安吾の思想が私たち現代人に残したものとは何かを探っていく。
伊集院「僕はこの授業で初めて坂口安吾と堕落論を知ったんですけど、パンクロックと共通性があると思うんです」
町田「まず堕落論というタイトルに惹かれますよね。堕落していいんだって、なんか楽そうじゃないですか」
伊集院「堕落の方向性ってこういう(上から下へ)軸をおかしくされる感じありますよね」
町田「白痴という作品で堕落論の小説版というか、人物を配置して分かりやすくしたものです。短い小説なんですけど、綺麗な作品です。
モラルが完全に崩壊して無くなった世界で、舞台が昭和20年の4月頃ですか。ちょうど戦局が…」
伊集院「かなり厳しい…」
町田「だから、よけいに荒廃していたモラルが露わになってる。伊沢は矛盾に苦しんでいるんです。芸術と現実の間で。それをなんとか乗り越えようとしてるんです。
伊沢は映画を撮ってますけど、作者の坂口安吾とかなりイコールな人物で、何で乗り越えようとしているかというと言葉で乗り越えようとしてるんです。
つまり、理屈で考えて今の状況がなんなのかを言葉にしようとしている。オサヨという人物は知的に障害があって言葉が通じないんです」
伊集院「対極ですよね。しかもルックスは美人で、伊沢が美しい映画を撮ろうとして言葉で何とか作ろうとしているのに、この人は無条件で美しいわけですよね」
大久保先生「オサヨが言葉のない世界にいるのは、日本文化私観に出てきた龍安寺の石庭の外にある野生の自然みたいな存在。フロイト的に言えば人間の無意識みたいなものですよ。そこに人間の根源があるのかもしれないけど、なかなか入れないし、入ってしまったらある意味では恐ろしい世界ですよ」
町田「伊澤は普通の女性と付き合うのが嫌なんですよ。なぜなら、芸術と生活は矛盾するから。苦しんで女性と一定の関係をもてないんです。でも、オサヨは言葉をもてなくて知的に障害があるから生活できないんです。普通の生活で例えば、男性が帰ってきて衣服を脱ぎ散らかした時に何してんのっ!とオサヨは一切言わないから精神世界に入ってこない。自分の肉欲だけを満たしてくれるからラッキーかもって思うんですよね」
この戦争はいったいどうなるのであろう。
日本は負け米軍は本土に上陸して日本人の大半は死滅してしまうのかも知れない。それはもう超自然の運命、いわば天命のようにしか思われなかった。
彼には然しもっと卑小な問題があった。
それは彼が会社から貰う二百円ほどの給料で、その給料をいつまで貰うことができるのか、明日にもクビになり路頭に迷いはしないかという不安であった。彼は月給を貰う時、同時にクビの宣告を受けはしないかとビクビクし、月給袋を受け取ると一月延びた命のために呆れるくらい幸福感を味わうのだが、その卑小さを顧みていつも泣きたくなるのであった。
この白痴の女は米を炊くことも味噌汁を作ることも知らない。配給の行列に立っているのも精一杯で、喋ることすらも自由でないのだ。
まるで最も薄い一枚のガラスのように喜怒哀楽の微風にすら反響し、放心と怯えの皺の間へ人の意思を受け入れ通過させているだけだ。二百円の悪霊すらも、この魂には宿ることができないのだ。
この女はまるで俺のために造られた悲しい人形のようではないか。
伊沢はこの女と抱き合い、暗い荒野を飄々と風に吹かれて歩いている、無限の旅路を目に描いた。
毎日警戒警報がなる。時には空襲警報もなる。すると彼は非常に不愉快な精神状態になるのであった。それは彼の留守宅の近いところに空襲があり知らない変化が現に起こっていないかという懸念であったが、その懸念の唯一の理由はただ女がとりみだしてとびだして全てが近隣へ知れ渡っていないかという不安なのだった。
この低俗な不安を克服し得ぬ惨めさに幾たび虚しく反抗したか、彼は自分の本質が低俗な世間なみにすぎないことを呪い憤るのみだった。
町田「この人は格好悪いことを一番恐れていたんです。近所からはインテリだと思われていたのに、自分の性欲に負けて知的障害のある人妻を連れて帰ったなんて言ったら滅茶苦茶カッコ悪いじゃないですか。それが大問題で…先わかれよっ!て、話ですけど笑」
「それでいよいよ東京にも空襲が来て、今すぐ逃げないと死ぬわけですよ。みんな逃げてるのに、いやぁ…僕は…先行って下さい!とか言って逃げないんですよ。なぜかと言ったら見られたくないから(笑)」
伊集院「まだ? その後に及んでもギリギリ…」
磯野アナ「バレちゃうから(笑)」
町田「僕は見届ける義務があるっ!みたいなこと言って。つまり、これは堕落論の偉大な破壊の愛情でみんな等しく灰になる。これが救済。ただ、焼けたら死んじゃうじゃないですか。逃げちゃうよね?って。それが生の不思議なんですよね」
伊沢は思った。俺の運をためすのだ。運。まさに、もう残されたのは、一つの運、それを選ぶ決断があるだけだった。十字路に溝があった。伊沢は溝に布団をひたした。伊沢は女と肩を組み、布団をかぶり、群衆の流れに決別した。
猛火の舞い狂う道に向かって一足歩きかけると、女は本能的に立ち止まり群衆の流れる方へひき戻されるようにフラフラとよろめいて行く。
「そっちへ行けば死ぬだけなのだ。死ぬ時は、こうして、二人一緒だよ。怖れるな、そして、俺から離れるな。火も爆弾も忘れて、おい俺たち二人の一生の道はな、いつもこの道なのだよ。この道をただまっすぐ見つめて、俺の肩にすがりついてくるがいい。分かったね」女はごくんと頷いた。その頷きは稚拙であったが伊沢は感動のために狂いそうになるのであった。
ああ、長い長い幾たびかの恐怖の時間、夜昼の爆撃の下に於いて、女が表した始めての意志であり、ただ一度の答えであった。そのいじらしさに伊沢は逆上しそうであった。
今こそ人間を抱きしめており、その抱きしめている人間に、無限の誇りをもつのであった。二人は猛火をくぐって走った。
町田「伊沢にとって、破壊尽くされた世界は平等で理想の世界。だから誰もいかない道を選んだ。リセットボタンを押す感じです」
伊集院「問題はさ、この先ですよね? これでめでたし、めでたしという割には町田さんの顔色が優れない」
磯野アナ「笑」
町田「涯知れぬ虚無とのためにただ放心が広がる様を見るのだった。その底に小さな安堵があるのだが、それは変にケチくさい、馬鹿げたものに思われた。何もかも馬鹿馬鹿しくなっていた。微塵の愛情もなかった。未練もなかったが捨てるだけの張り合いもなかった。どこかの場所に何かの希望はあるだろうか。
『豚のようだ』とまで言ってるんです」
伊集院「なんでっ⁈ 大感動だったじゃないですか。コントでもこんなオチありませんよ」
大久保先生「幻影が消えてしまったんですね。空襲という非常時の中では輝いて見えたものが、朝になり幻影が剥がれてしまった」
町田「肉体の欲にふけりながら女の尻の肉をむしり取って食べていくとか、最後メチャクチャ書いてますよ」
磯野アナ「ひどい!笑」
伊集院「本当の最後は何て書いてあるんですか?」
町田「夜が明けて… 今朝は果して空が晴れて、俺と俺との隣に並んだ豚の背中に太陽の光がそそぐだろうか、と伊沢は考えていた。あまりに今朝が寒すぎるからであった。で終わるんですよ」
伊集院「これは希望的な終わりなのか、悲しい終わりなのかどっちなんですか?」
町田「つまり、ここが堕落論のスタート地点なんですよ。あとはもう生きるために墜落するしかないんです。生きるために今までの見栄を捨てて、どんなことでもやっていかないといけない。堕落するためにはこの過程が必要だったということですよね」
伊集院「理想とは違う生き残り方をした日本人がたくさんいて、何か後悔があったかもしれない。戦前、戦中に教わってきた『正しい生き方』ではないかもしれない生き残り方をした人に…」
町田「そう、『気にすんなよ』って」
伊集院「つながりました。太陽の光がそそぐだろうかってところに、ほんの1ミリだけ明るさが出てるかなぁと思いました」
《おわり》
いやぁ、堕落論面白かったですね。
以前にKindleで「白痴」を読んだことがあったのですが、番組の中で語られる主人公のイメージは私の中にはありませんでした。30分という時間の制約があるから粗暴に感じるのでしょうか。
青空文庫のリンク貼っておきます。
坂口安吾 白痴
個人的な感想としてはまぁ、以前も書きましたけども堕落悪用によって暴力の肯定ができる危険性があると思うんです。
例えばキリスト原理主義者ならば正しい世界に導くためにイスラム教と第三次世界大戦を肯定するでしょうし、ユダヤ原理主義者ならば救世主を呼び出すために自ら窮地に立つ。日本だったら、来世で徳の高い姿で生まれ変われるように現世であなたがこれ以上、罪を犯さないように殺すというオウム真理教がいました。
安吾に言わせればカラクリに過ぎないですし、私もそう思うんですけどそれを正義と認識した時から戦争が始まってしまう。不細工は何とも言えませんね。
後半の伊沢は現代に例えると、死んだ時のパソコンのフォルダにあるエロ画像に悩む男の煩悩と等しいわけで、その煩悩の中でナルシズムに浸ってるだけに思います。この演出には性差があると思うので、主人公を女性にして「白痴」を映像化したら別の面白さがあるんじゃないかなぁ考えてしまいました。
あとは、是枝裕和監督の「空気人形」を思い出してしまいました。「白痴」に似てるなぁって。(しかも女性視点ですし)
私が知らないだけで、既に別の角度から「白痴」を捉えた作品が沢山あるのかもしれませんね。
音楽だと井上陽水の「傘がない」とか中島みゆきさんの「僕たちの将来」から坂口安吾の匂いがする気がします。
臭そうですね。ファブリーズは偉大な破壊でしょうか。