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モブトエキストラ

左利きのメモ魔が綴る名もなき日常

【100分de名著】第三回「獄中からの手紙」 〜勇気を知っているか〜

誰も殺さない独立運動

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前回、欲望にまみれた若き日のガンディーが、人種差別と植民地支配によって当たり前の権利さえ自分たちはイギリスによって奪われていると気付き行動するまでを習いました。(知的教養番組というか授業)

今回は全く逆のベクトルへとガンディーを突き動かしたその考え方について学びました。

引き続き、解説は中島岳志先生。

 

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ア=否定 ヒンサー=傷害・殺傷

一般的には非暴力・非服従として知られていますが「傷つけず、または殺さない独立運動をしよう」というのがガンディーの思想に近い表現のようです。

 

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1907年に滞在先の南アフリカでアジア人強制登録法が成立します。

これは8歳以上のインド人に対し指紋登録を義務化する法律で、違反者には罰金が科せられるというものでした。

 

日本では国民総背番号制度という構想があり、マイナンバー制度と言い換えただけで簡単に可決されてしまいましたね。

旗振り役の大臣はゲスな呪文を唱えて(年金情報が漏れている最中に)からURの問題を抱えて、TPP交渉の説明責任を果たさないままどこか行ってしまいましたが…

 

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ガンディーはこんなことは許されないと立ち上がり、人々に対して登録書の破棄を呼びかけました。当然、逮捕され投獄されるのですが「暴力で抵抗してはいけない」という姿勢を貫きました。

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イギリスとしては服従させる為に考案した法律なので、当初は刑務所に連行されてくるインド人が増えるのはさぞかし優越感があったのではないでしょうか。

しかし、ガンディーの呼びかけに応える人々はとどまることを知らず、とうとう刑務所のキャパシティを超える人数になり、イギリスのほうが折れて解決案を持ちかけました。

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インドに戻ったガンディーは1930年に塩の行進を行いました。(これは第一回で習いましたね)

 

中島先生の解説で驚いたのですが、この行進の一番後ろには救護班が常にいたそうなのです。これは、行進の途中で治安部隊に暴力を振るわれることを想定して一番後ろで治療していたのだと。

だから、歩く→殴られる→耐える→治療する→再び歩くをずっと行っていたことになります。だからイギリスのほうが困ってしまったそうです。

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ガンディーは非暴力の方が強い意志と勇気が必要。暴力を使う人間の方が恐怖の中にある。と説いていたと紹介がありました。

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勇者とは、剣や銃の類ではなく、無畏をもって武装した人のことです。

恐怖にとりつかれた者たちだけが、剣や銃で身がまえるのです。

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伊集院さん「『そうは言うけどガンディーさん、俺このままじゃ死んじゃうよ⁉︎』となるわけじゃないですか? それに耐える言葉の力はすごいですね」

中島先生「殴られている人は身体、肉体的に痛みを感じるわけですが、それに対してガンディーは『いずれ、殴っている人間の心の痛みが、殴られている側の肉体的痛みを上回るであろう』と言うのです」 

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 中島先生「殴っている人間の心を動かさないといけない。そこに内面から生まれてくる善良なるものを喚起しなければいけない。その時に一歩何かが始まるというのが、ガンディーの非暴力、アヒンサーだったのです」

磯野アナ「実は積極的なメッセージが込められたものだったんですね」

中島先生「そうですね。大変、積極的ですよね。ガンディーとしては積極的な概念として非暴力を言っていたと同時に、アヒンサーというものは愛であるという言い方をしているのです。この愛というものをしっかりと掴まなければ意味がないとも言っています」

 

重要なやりとりだと思って書き出しました。

 

 

 

  

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朗読は引き続きメレブなムロツヨシさん

相手が愛の法(のり)を守らないばあい、暴力的な態度に出てくるかもしれません。

それでもなおわたしたちが、真の愛を心にいだきつづけるならば、ついには、相手の敵意に打ち克つでしょう。

わたしたちが間違っていると思う相手にも苛立たず、必要とあらば、自らひきうける覚悟をせよ、どの黄金律にさえ従うならば、行く手に立ちはだかるいっさいの障壁は、おのずから消滅するでしょう。(約 森本達雄)

 

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ガンディーは他者の中に自分と違う部分と同じ部分を見つけることで理解し、それを分かち合うのが本当の愛だと考えたそうです。

 

Mr.Childrenの「sign」にこんな歌詞がありますーー

似てるけどどこか違う だけど同じ匂い

身体でも心でもなく愛している

桜井和寿はガンディーなのでしょうね←え?

 

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中島先生が以前、官邸前の抗議運動に行った時に政府や電力会社を罵倒するような言葉を使っている人がいて、もしそこにガンディーがいたのならそれは言葉の暴力ではないですか?と言ったのではないかと感じたそうです。

伊集院さんはTwitterの炎上を例題にして、もし非暴力で言うのなら「ご指摘ありがとうございます。勉強になりました」でいいのでしょうけど、それではどこかやりこめられた気がして「…それ以外のところは全てご納得頂けたということでよろしいでしょうか?」って、自分のプライドを守るために言いたくなると言ってました。(負けた感ですねぇ)

暴力には愛が必要であって、ガンディーは「暴力的な手段によって手に入れた勝利は勝利ではない」と考えるそうです。

ただ、この後「暴力」に関して言及する場面があって、難しいなぁと私は思いました。

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例えば女性が暴漢に襲われているのを何もせずに見ていることは非暴力ではないと。ガンディーは必要であれば暴力を使うかもしれない。非暴力が臆病の盾になってはならない。と考えるというのです。

法的な解釈でいえば自衛権という言葉になるのでしょうが、過剰防衛かどうかをどのように判断して「勝利」と断定するのでしょうか?

判断基準が難しいですね。

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アヒンサーはあくまでも手段であり、真理が目的です。

手段が手段であるためには、それはつねにわたしたちの手の届くところになければなりません。

  1. 真理が神である
  2. 暴力に暴力で対抗しても真理にたどり着けない
  3. 暴力には愛が必要である
  4. アヒンサーにより真理にたどり着ける

こんな解釈でしょうか。でも手元にない場合は使えないとも読めますね。

 

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伊集院さん「ガンディーの部屋にでっかく非暴力って掛け軸があって、それから動かないもんだと思ってたんですけど、あくまで真理が目的の手段なんですね」

 

磯野アナのスマイルをご覧ください

 

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考え方としては他人に対して愛を持つことによって、自己欲求を抑制しようということでしょうね。

そしてその手段は常にコントロールできるものでなければならないと。

だから、暴力に暴力で対抗するとコントロール不能になるから確実に間違っているといえますね。近代史でいうところの『テロとの戦い』が相当すると私は思います。

 

要求に応じた手助け | 京都大学霊長類研究所 - チンパンジーアイ

これは例えとしては違うのかもしれませんが、以前に京都大学の霊長類研究所がチンパンジーが助け合うかどうかという研究をしていて、自分の得にはならなくても相手の欲求に応えようとするという結果が出たんです。

単純に人間と比べるのは難しいかもしれませんが、集団生活のストレスレベルを下げるために暴力を用いるべきではありませんよね。

 

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古のある真理の探究者はアヒンサーの真価に気づいたものと思われます。

彼が直面した問題は「わたしに苦難をもたらす者たちを恕(ゆる)すべきか、それとも打ちのめすべきか」ということでした。

他人を打ちまかそうとやっきになっている人は、前進することなく、ただその場に立ち尽くしているだけです。

これにたいして、禍(わざわい)をもたらす者をも寛恕(ゆる)す人は、自ら前進するとともに、ときには敵対する他者をも共に連れ立ってゆくことを、かの求道者は悟ったのです。

最初は害をなす者をやっつけようとしましたが、そうするうちに、己の探究の対象である真理は自分自身の外にではなく、内にあることを学んだのです。

それゆえに彼は暴力に訴えれば訴えるほど、ますます真理から遠ざかってゆくのです。

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なぜなら、外なる仮想の敵と戦っているときは、内なる敵を忘却していたからです。

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この最後の一文はドキッとさせられました。

あいつをやっつけろという命令に従っているときは、命令の主が味方という前提ですからね。

この考え方を逆読みすると「敵に加担するな」ということだと私は思います。

 

伊集院さんは支配と愛の差、勝利と赦しの差に感じたそうです。

ガンディーは怒りこそが内なる敵であると考え、赦しによって乗り越えるべきという結論に至ったそうです。なぜならゆるさないと思うことこそが欲望であるから。

この考え方は死刑制度やポピュリズムに関しても通じている気がします。

 

 

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また、占領国であるイギリスに対しては『イギリスとともに祈れ』と言っていたそうです。

イギリスはインドを搾取して利益を上げようとしている。その一方で、インドもイギリスがもたらす近代的な様々な物質や文化を得ようとし、自ら招き入れたのではないか、両方の欲望の総合体が厳しい取り締まりに繋がっているのではないか。インドとイギリスは共犯関係ではないか。そのうえで近代を超える独立国家を作ろうと考えたそうです。

かなり視野が広いというか、構造を理解したうえで行動に移す冷静さが素晴らしいですね。

 

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ガンディーに対する批判の声として多かったのが「あなたの運動は受け身である」という意見だそうで、否定形の捉え方が一般と違うのが特徴であると。

「これが正しいのだ!」と言う人々は他者に対して非寛容的で「これに従え!」という支配になってしまうと。

一方でガンディーが口にする『〜ない』という概念は自己反省に用いられる。この内面に対する積極性をガンディーは説いていたのだと中島先生の超絶わかりやすい解説。

 

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磯野アナ「いかがでしたか?」

伊集院さん「僕がちょっと怖くなってきたのは、とてもガンディーに対して尊敬の念を、ガンディーの出したアイデアに対して素晴らしいと思い続けてる僕がいるんです、第三夜から。四夜でそのガンディーがどうなるの?っていうことが恐くて…」

 

これで今回は終了するのですが、伊集院さんの意見に共感します。

正しい行いをしている人間が報われない死を遂げたとしたら、教えや真理も瓦解して世界に暴力しか残らないのではないかと考えてしまいます。

どこまで信じればいいのかという問いは真理に辿り着かなければ解決しないのでしょうね。

 

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