モブトエキストラ

左利きのメモ魔が綴る名もなき日常

「箱男(The Box man)/著 安部公房」の感想

記録を更新するのは誰だーー

競泳池江璃花子が100バタでリオ銀日本記録でV3 - 水泳 : 日刊スポーツ

先日、ニュース記事を読んでいたら水泳女子の選手が自らの記録を更新し、日本記録を更新したというニュースがありました。
「コレだってばよ! 『砂の女』を超える作品に出会う確率を上げるには、安部公房の作品を読むしかねぇってばよ!」という閃きが生まれた瞬間です。
本屋に行き、新潮社文庫エリアで安部公房の名前を確認。人差し指でサーチしたところ箱男という、内容が推測できない小説を発見しました。
「これなら勝てるんじゃないか?」
好敵手を見つけた心持ちのままレジに向かい、スカスカの財布から硬貨を吐き出して帰宅しました。

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ダンボール箱を頭からすっぽりとかぶり、都市を彷徨する箱男は、覗き窓から何を見つめるのだろう。一切の帰属を捨て去り、存在証明を放棄することで彼が求め、そして得たものは? 贋箱男との錯綜した関係、看護婦との絶望的な愛。輝かしいイメージの連鎖と目まぐるしく転換する場面(シーン)。読者を幻惑する幾つものトリックを仕掛けながら記述されてゆく迷路。実験的書下ろし長編。

作品紹介からは「世捨て人の話」を思わせる記述があり、この時点でハッピーエンドは無いと判断。私はバッドエンドには慣れているので別にそこは構わなかったんですが、全てのページをめくり終えた今とても感想に困っています。
何から書いたらいいのか…うーん。

箱男とは一体…?

《たとえばAの場合》

P9

しかし、季節を問わず、一つの箱を長く使い込みたい向きには「蛙張り」をおすすめする。ビニールの被膜を張ってあるやつで、名前のとおり、水にはめっぽう強い。新品のときは、油をひいたように艶があるのだが、静電気が発生しやすいらしく、すぐに埃を吸って粉をまぶしたようになるのと、切口が普通品より厚ぼったく、波打って見えることとで、すぐ見分けがつく。

P12

雑踏に出向く機会が多い場合は、ついでに左右の壁に穴を開けておくのもいいだろう。太めの釘で、径十五センチくらいの範囲に、紙の強度を犠牲にしないだけの間隔をたもって、できるだけ沢山の穴を散らしておく。補助の覗き穴にもなってくれるし、音の方向を聞き分けるにも好都合だ。穴は内側から開けて、ささくれを外に向けたほうがーー見てくれは悪いがーー雨じまいには有利なようである。

P18

不快なしびれが、口のまわりに楕円形の輪をつくる。

小説の冒頭では社会から見た「箱男=ホームレス」についての記述があり、登場人物Aはその存在を不潔なものとして捉えていました。ダンボールの質感を表現したり、自分の部屋の窓から見える箱男に空気中を発泡するシーンのそれぞれに表現力の巧さが光っています。

P23

Aにもし何か落度があったとすれば、それはただ、他人よりちょっぴり箱男を意識しすぎたというくらいの事だろう。Aを笑うことは出来ない。一度でも、匿名の市民だけのための、匿名の都市ーー扉という扉が、誰のためにもへだてなく開かれていて、他人どうしだろうと、とくに身構える必要はなく、逆立ちして歩こうと、道端で眠り込もうと、咎められず、人々を呼び止めるのに、特別な許可はいらず、歌自慢なら、いくら勝手に歌いかけようと自由だし、それが済めば、いつでも好きな時に、無名の人ごみにまぎれ込むことが出来る、そんな街ーーのことを、一度でもいいから思い描き、夢見たことのある者だったら、他人事ではない、つねにAと同じ危険にさらされているはずなのだ。
だからめったに箱男に銃を向けたりしてはいけないのである。

Aが箱男について考え始めたのはホームレスが居なくなってからでした。
Aは、家も職もなく社会から忌み嫌われるホームレスに空気銃を向けた事が、まるで自分の中にある自由を追い出したかのように思えてならないわけです。
ここにある文章は現代社会における「インターネット」にも当てはまると私は思います。差別や偏見を持った人間が攻撃的な言葉で誹謗中傷を繰り返すほど、この匿名の世界から自由が消えていくのです。
『自由』というのは近代国家において生まれながらに個人が所有する権利です。これを担保するために存在するのが憲法であり、それに則って作られた法律です。その中核を成すのは『他人の自由を侵害する自由はあってはならない』という事です。それに気付いたAは罪悪感を抱くと共に、箱男になって自由の扉を探しに行くのでした。
社会からすれば「頭がおかしい」とか「夢想家」とか「ホームレス」と呼ばれるのでしょうが、社会は箱の中の人間の思考回路を理解してはいないとも言えますね。

物語は進んで、立ちションしていた「ぼく」は知らない男に空気銃で狙撃され肩を負傷します。そこへ偶然通りかかった坂の上の病院の看護婦が三千円を箱の中に押し込んでから病院の場所を告げるのでした。病院に向かい、朦朧とする意識の中で見たのはメスを掴んで処置している空気銃の男でした。
この部分が先ほどの文章にかかってくる。つまりは医者はニセモノという暗示です。

《それから何度かぼくは居眠りをした》
P57

贋魚は、夢から覚める前に死んでしまっていたので、もうそれ以上覚めるわけにはいかなかった。死んだ後までも、まだ夢を見つづけなければならなかった。けっきょく、死んだ贋魚は、最新式の冷凍処理を受けたように、いつまで経っても贋魚のままでいるしかないらしいのだ。

自分には才能があると思っていた主人公「ぼく」は、社会に揉まれてメッキを剥がされ、自分は贋魚だと思っています。
BGMをかけるならケツメイシの「東京」で。

読み進めるたびカオスになっていきます。作品紹介に『実験的書き下ろし』とありましたが、その正体は書き手が匿名性になるという点にあります。分かりやすく言えばこの小説は『箱男のスレッド』で、同じスレッドに複数の箱男が存在しているのです。しかも、時系列がバラバラになっているので正確に理解するには並び替える必要があって、「ここに複数のダンボール箱があります。さて、本物の箱男はどこにいるでしょう?」と安部公房マジシャンは読者に問いかけているわけです。
その上、この後乗せサクサクギミックの中には『夢オチ』を匂わせる節回しもあるので私は読むのをやめたくなりました。笑
砂の女』は読者を引き込む構成でしたが、『箱男』はひたすら拒否ってくる点が大きく違いますね。
震災で被災した際に女性より男性のほうが閉じこもりがちになるという社会問題がありますが、この小説の中に『箱女』は出てきません。男目線の比重が大きいので面白く思わない人には全くハマらないテーマ設定と言えるでしょう。


P58
《約束は履行され、箱の代金五万円といっしょに、一通の手紙が橋の上から投げ落とされた。つい五分前ほどのことである。その手紙をここに貼付しておく》

あなたを信頼します。領収書はいりません。箱の始末も一任します。潮が引ききる前に、箱を引き裂いて、海に流してしまって下さい。

このまま読むと、「5万円は差し上げるので箱はあなたが処分して海に捨てて下さい」と解釈できます。
この意味深な言葉がこの後、ストーリーの中で重要なウエイトを占めます。

P63

五万円か…彼女にだけは教えておいてやりたいものだ……出す方にとっては散財かもしれないが、箱男にとっては取るに足りない金額なのである。だいたい箱男について、無知すぎるよ。箱男にとっての、箱の意味を、軽く考えすぎている。強がりなんか言ってるわけじゃない。ただの強がりだけで、三年ものあいだ箱生活を続けたり出来るものか。甲殻類のヤドカリだって、いちど貝殻生活をはじめると、胴から後ろが殻に合わせて軟化してしまうので、無理に引出される千切れて死んでしまうということだ。ただ元の世界に引返すためだけに、箱を脱いだりするわけにはいかないのである。箱を脱げるのは、昆虫が変態するように、それで別の世界に脱皮できる時なのだ。彼女との出会いで、もしやその機会をつかめたのかと、ひそかに期待していたのに……
もっとも、箱男という人間の蛹から、
どんな生き物が這い出してくるのやら、
ぼくにだってさっぱり分らない。

この部分はわりとはっきりと主人公のアイデンティティが書かれている部分であると同時に、今までの生活に存在しなかった『恋心』によって自分が変化できるのではないかと感じていた事が書かれています。若干、カフカの匂いがしますね。
でも、合計の値段は5万3千円ですから『ゴミ』というdisだと私は解釈します。

P74

当然のことだ、現実の裸に想像が追い付いたり出来るわけがない。見ている間だけしか存在してくれないから、見たいと思う欲望も切実になる。見るものをやめたとたんに、消えてしまうから、カメラで撮ったり、キャンバスに写したりしなければならないのだ。裸と肉体は違う。裸は肉体を材料に、眼という指でこね上げられた作品なのだ。肉体は彼女のものであっても、裸の所有権については、ぼくだって指をくわえて引退る(ひきさがる)つもりはない。

五万円を返すことにした「ぼく」が夜に病院を訪れると、明かりの灯る部屋の中で別の箱男の前で全裸になっている彼女が居て、それを窓の外から見ているというのが上記の引用部分です。この時点で恋心の正体が独占欲だと分かります。

『他人の眼差しは牢獄だ』という実存主義を描いているのが確定しました。
思わずサルトルってるの悟っちゃいますねぇ?(日本語を乱していこうぜ!)
でも、主人公の「ぼく」には感情移入できません。盗撮趣味のカメラマンなんて変態じゃないですか。カッコよくないし、キモいし、陰キャラすぎて引きますわ。。

P147

もうよそう。どっちにしたところで、話にならない馬鹿馬鹿しさだ。不都合なのは、筋が通らないことよりも、むしろなめらかに通りすぎている点だろう。真相というものは、欠落部分の多い嵌め絵のように、もっと切々で、飛躍だらけなものであるはずだ。ぼくが、ぼくでないかもしれないというのに、そうまでしてぼくを生きのびさせる必要がどこにあるのだろう。繰返すようだが箱男は理想的な殺され屋なのだ。ぼくが医者なら、さっさと紅茶のいっぱいもふるまっていた。職業柄、毒の一滴くらいたらしておくのは訳もないことだろう。それとも……もしかすると……ぼくはすでにそのいっぱいの紅茶を飲まされてしまったのだろうか。そうかもしれない。ありうることだ。たしかにぼくがまだ生きのびているという証拠は、どこにもないのである。

ここまでは「ぼく」が箱の中から見たストーリーです。ここからは社会から見たストーリーが軸になります。

簡単に書きますとーー
医師見習いのCは重病に倒れた上司の軍医の看護(軍医は医療用麻薬で中毒になる)をしつつ、了承を得たうえで本人に成りすまし医療行為をしていました。軍医の妻である奈奈と内縁関係になり、そして看護見習いの戸山葉子を雇ったことを不満に思った奈奈が別居(経営権は維持)しました。
軍医はもともと自殺の危険がありましたが、八年の歳月が過ぎた後にT海岸公園にダンボールに身を包んだ変死体として打ち上げられました。(Cが軍医の意思に従った犯行)

P192

そこで、考えてみてほしいのだ。いったい誰が、箱男ではなかったのか。誰が箱男になりそこねたのか。

P213

(だが、断るまでもなく、すべての遺書が額面どおり、つねに真実を告白するのとは決まっていない。死んでいく者には、生き残る連中には分からない、やっかみもあれば嫉妬もある。なかには、「真相」という空手形に対するうらみが骨身に徹していて、せめて棺桶の蓋くらいは「嘘」の釘で止めてやろうという、ひねくれ者だっているはずだ。ただ遺書だというだけで鵜呑みにするわけにはいかないのである。)

軍医は自ら死を選んだと書きつつ、遺書に書かれたことを鵜呑みにするなとか、謎がスパゲティのように絡み合い多弁探偵の力を借りたいところではありますが、この訳の分からないABC予想を終わらせることこそが、安部公房にとっての物語の完結だと思うのです。

 

A=万人に当てはまる自由への欲望
B=夢に敗れたカメラマン(ぼく。医者Cを殺し?戸山葉子と暮らす)
C=自殺幇助をする医者(箱=棺)
D=トイレを覗く少年(他人を閉じ込める視線は自分も閉じ込められる可能性を提示している)

 

まず潰しておくのはDの箱。私の予想ではこの少年Dというのは「ぼく」の幼少期だと思います。
Dの話というのは女性教師がトイレに入ろうとするのを少年が覗こうとしたところ、バレてしまい反対に素っ裸にされて放置プレーを食らって恥ずかしくなるという話です。この反動で裸である事がトラウマとなり、箱男へと成長したのだと推察します。

さらにBとされる「ぼく」には軍医を代入できる可能性があります。頭のおかしくなった軍医の妄想という文章構造としても読めるというギミックですね。
《それから何度かぼくは居眠りをした》のパートは、軍医でありながら病を患ったことで自らをニセ医者だと考えたと読めるのです。
さらにややこしい点がありまして…。

P210

「困るじゃないの。約束、守ってくれなかったのね。いますぐ、脱いじゃって。あなた、知らないかもしれないけど…」
「いや、知っている。先生のことだろう。さっき、街で見掛けたんだ。」

↑これよ。
「ぼく」は贋医者Cを殺害したはず。
なのに街で見掛けたという事を言っています。これは嘘だとしても、何のためについた嘘なのかが私にはよく分かりません。
ありえるとすれば、この時点で贋医者が「ぼく」を殺して「ぼく」に成りすましている可能性でしょうか。

P234

箱から出るかわりに、世界を箱の中に閉じ込めてやる。いまこそ世界が目を閉じてしまうべきなのだ。きっと思い通りになってくれるだろう。この建物の中には、懐中電灯はもちろん、マッチから、蝋燭から、ライターの類まで、影や形を作り出す一切のものが片付けられてしまっているのだ。

「ぼく」は建物に戸山葉子を閉じ込めたというのは建物を巨大なピンホールカメラにしたという意味ですね。写真は真っ暗な中でフィルムに真実を複製する装置。そのために光を発生する全てを片付けたと読めます。(とすると、贋医者が成りすまして生きている可能性は低いですね)

光=希望とするなら、戸山葉子を道連れにする情死オチですね。

しかし、この後「ぼく」が暗闇の中で彼女の部屋の扉を開けると、そこはどこかの駅の路地裏へと変わっているのです。
「ぼく」は戸山葉子を唯一の理解者だと思っていましたが、裸の戸山葉子は一貫して箱を捨ててくれと主張していました。
最後の最後まで読者を近づけまいとする構造は、社会を箱に閉じ込める箱男とそれを見た市民社会の目が互いに分かり合えない関係であることを意味していると解釈します。
「ぼく」と戸山葉子の関係は勇敢なゴディバ夫人とピーピングトムにも見えなくありませんし、主導権を握っていると思われた部分までは坂口安吾の『白痴』に出てくる女性の雰囲気も感じました。

物語の最後はこう締めくくられます。

P237

現に姿を消した彼女だって、この迷路の何処かにひそんでいることだけは確かなのだ。べつに逃げ去ったわけではなく、ぼくの居場所を見つけ出せずにいるだけのことだろう。いまならはっきりと、確信をもって言うことが出来る。ぼくは少しも後悔なんかしていない。手掛かりが多ければ、真相もその手掛かりの数だけ存在していていいわけだ。

 

救急車のサイレンが聞こえてきた。

ーーと終わるのですが、ここに対応しているのが恐らくP50のニュース記事。
一部を書いておきますと…

現場の地下通路は、一日の乗降客数十万人(新宿駅調べ)にも及び、近くには赤電話もずらっと並んでいる雑踏。目撃者の話によると、この男は、同日昼ごろから同じ姿勢で坐りつづけていたが、だれひとり気にも止めず、警察官が見つけるまでの六、七時間、何の通報もなかった。また、交番からも十メートル足らずのところだが、同署員は柱のかげで、よく見えなかったと言ってる。

「ぼく」は箱男になり損ねたのです。
「ぼく」は主導権を握ったと思っていましたが、空気銃を発泡することもなく、憎しみの感情さえ抱かない『無関心な人々』という自分以上に閉じた大量の箱に押し潰されて死んだのです。(自らが世捨て人になったのではなく、世界がぼくを捨てた)
箱男の理想は一番最初に記載されていた、誰にでも開かれた自由な都市です。
しかし、「ぼく」は戸山葉子から自由を奪おうとしたことで自由な都市から追放され、現実社会に堕とされ絶命した。
『箱を処分しろ』=『自殺しろ』と社会は選択を迫ってきますが、それができなくとも社会不適合者は絶命するしかないのです。
そして、この物語は「ぼく」が死んだことで読者が箱男を考えるという、Aの存在に読者を組み込むギミックで終わっているのです。
最後に残ったAの箱。つまりは読者が自由を謳歌する真の箱男になれる可能性を秘めているのだと私は解釈します。

おわりに

最初は缶詰めにされた作家と、その原稿を社会に届ける編集者の比喩かと思いながら読んでいたのですが、なんかもうパズル要素が多くてストーリーに集中できませんでした。正直、仕掛けが多いので全てを解釈できているとは言い切れません。
ただ「砂の女」は地方と都市を比べる事がテーマの1つなので、その混沌の中心部に箱男が住んでいると考えると、世界観は共通している気がします。

#失踪若者行方不明3万人 を積極的に改善したい方向のまとめ #NHKスペシャル - Togetter

そういえばこの間、NHKで若者の失踪に関するドキュメンタリーをやっていました。その中にTwitter上で見ず知らずの人とコミュニケーションをとった事があることにスタッフが驚くというシーンがあって、私には驚く意味が分かりませんでした。だって、そういうサービスですからね。
フェイスブックとかインスタとか、有名人なんかは自己顕示欲の塊みたいなものだから、裸の王様を着飾って遊んでるのでしょうけど、日常生活において様々な制限がかけられるから、ネット上の匿名の世界に擬態したいというのが現代人の感覚では無いでしょうか。

それに「人間は見たいものしか見ない」ということにみんな気付いてるんですよね。だからカメラだらけの社会の中で、牢獄に閉じ込められないように匿名性で身を守る。
この問題はたぶん普遍的なものなのでしょう。でなければ、この小説の感想に私が困ることもなかったに違いありません。
砂の女を超えたのかどうかについては…超えませんでしたねぇ。
いや、嫌いでは無いですけど、蠍座の私が好むのは砂漠の孤独であって、陰湿なのはちょっとなぁ…。
でも、今年読んだ小説の中ではNo. 1です。(あれ? 今年、小説これしか読んでなくない?)

 

おわり

 

箱男 (新潮文庫)

箱男 (新潮文庫)