モブトエキストラ

左利きのメモ魔が綴る名もなき日常

「コンビニ人間/著 村田沙耶香」の感想

旬の小説はあえて読まない病

先日、ネズミのミイラを粉末状にして水の中で撹拌したような空の下、グッズ目当てに本屋に行ったのですが、キャンペーンをやっているのかどうか分からず、結局いつものように直感で面白そうな本を二冊買いました。そのうちの一冊が「コンビニ人間」です。
ずっと読み続けてる漫画の発売日ならともかく、私は話題になってる本を買う事に抵抗感があります。自分でも明確な理由がよく分からないのですが、商業的な匂いがするものは過大評価されているのではないかという先入観があるのかもしれません。芥川賞は書籍の販売促進の意味もありますし、例えば公開される前の試写会で撮影したような映像を使いながら『大ヒット上映中』と大合唱してる映画のCMとか、『全米が泣いた』と言いながら日本語吹き替え版では声優が棒読みで酷いとか、意図を持って作られたブームを胡散臭く感じてしまうのです。

或いは、大衆や集団が熱を帯びている時にバランスを取って、冷静でありたいと考えているのかもしれません。いい作品は時間が経過しても、タイムカプセルのように作者の熱を帯び続けているので、ブームが去った後に読んだほうが自分の感想を持てる気がします。

病気の話はこれぐらいにして、早速入店しましょう。

コンビニ人間の感想

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表紙には不思議な絵が描かれています。ブロックの中から煙やチューインガムを膨らます男、懐中電灯を持った手やロープが出ていて、下にはドクロと死体が見えます。右上には魔貫光殺砲のようなレーザー。ボルダリングの人工的な壁面とカースト制を感じさせるデザインです。ジャケ買いする方もいそうですね。

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KYOTO EXPERIMENT|京都国際舞台芸術祭
この作品を創ったのは金氏徹平さんという方で、検索してみたら同じ構図の『Tower』という映像作品があるようです。それを装丁デザインに落とし込んだ関口聖司さんの着眼点も面白いですね。

ここからは内容に関して書いていきますが、本作品が芥川賞を受賞した後、至る所で取り上げられていました(西加奈子さんは日曜日の早朝にやってるフジテレビの対談番組で、たりないふたりを相手に「自分よりも先に沙耶香の作品が海外翻訳されて悔しかった」と言ってた)から物語の輪郭は薄〜く知っていました。でも、その知ったかぶりの知識を書くとぐちゃぐちゃになるのでカバーに書かれている文章を引用させて貰いつつ、主な登場人物の紹介を書いておきます。

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「いらっしゃいませー!」お客様がたてる音に負けじと、私は叫ぶ。
古倉恵子、コンビニバイト歴18年。彼氏なしの36歳。日々コンビニ食を食べ、夢の中でもレジを打ち、「店員」でいるときのみ世界の歯車になれる。ある日婚活目的の新入り男性・白羽がやってきて……。

古倉恵子
→主人公。普通の家に生まれ、普通に愛されて育つ。幼稚園の頃に公園で死んでいる鳥を見て、周囲の子どもが涙を流す中、父親は焼き鳥が好きだし、自分と妹は唐揚げが好きだったので「食べよう」と思ったり、小学校の頃はケンカをする男子を仲裁する為にスコップで頭を殴って止めるなど、独特の感性と直接的な行動をとる。その度に母親が学校に呼び出されて謝罪しなくてはならないので、家の外で自発的に発言する事をやめ、周囲の人間の真似をするか、誰かの指示に従うようになる。

古倉麻美
→恵子の妹でありアドバイザー。姉が普通になる事を望んでいる。

旧友のミホ、ユカリ、サツキ
→恵子を見下す事で優越感に浸る、普通の価値観を持った普通の人々。

〈スマイルマート日色町駅前店〉
店長
→スマイルマート8人目の店長。
30歳 男性 口は悪いが働き者で、古倉は店長を同志だと思っている。

→37歳 主婦 バイトリーダーを担当
菅原
→24歳 バンドのヴォーカリストを務める女性
岩木
→大学生 就活で来れなくなる
雪下
→就職先が決まって辞める
白羽
→婚活の為にやってきた35歳の男。「底辺」が口癖で、お客さんの個人情報を盗み見てストーカーになり解雇。
ダット
ベトナムから来た新人。
トゥアン
→いつの間にか居る補充要員。

こうやって登場人物を並べただけでも、既にブラックなドラマが分かりますね。

P7
売り場のペットボトルが一つ売れ、代わりに奥にあるペットボトルがローラーで流れてくるカララララ、という小さい音に顔をあげる。

物語は主人公の古倉恵子が働くスマイルマートのシーンから始まります。
古倉はコンビニの中で発生する音を察知して、次に何をするべきかを判断、行動に移していきます。全く予備知識のない状態で読んだなら、仕事ができる人と感じるに違いありません。日常にある当たり前の光景ではありますが、この部分からはコンビニが便利な場所であると同時に、効率を重視して設計された空間である事が強調されているように感じます。

P20
やがてトレーナーの社員が現れ、全員に制服が配られた。制服に袖を通し、服装チェックのポスターに従って身なりを整えた。髪が長い女性は縛り、時計やアクセサリーを外して列になると、さっきまでバラバラだった私たちが、急に「店員」らしくなった。

大学生の頃、学校の行事で能を観に行った帰り、友達が居なかった古倉は一人で歩いているうちに道を間違え、ガラスの空間の中に棚しかないスマイルマートと出逢います。

NHKドキュメンタリー - フランケンシュタインの誘惑E+ #14「モンスター・スタディー」
いきなり話が飛んでアレなんですが、この間「フランケンシュタインの誘惑」という番組で「モンスター・スタディーについて特集されていたんです。
この番組では人類が犯した過ちに焦点を当てて、マッドサイエンティストが成長する過程であったり、非人道的な兵器の仕組みや被害の詳細について語られるのですが、この回は「吃音」を研究する学者が行った酷い実験を軸に、ミルグラム実験スタンフォード監獄実験が紹介されました。
その酷い実験の内容はというと、「子どもの吃音は大人が指摘するから存在するのであって、先住民には吃音が存在しない」という自論を持った学者がそれを証明するために、表向きは吃音を直すためだと称して孤児院の子どもを使い、「同じ言葉を二回言ったら大人が指摘する」ということを繰り返しました。すると、その学者が思った通りに吃音ではない子どもが吃音のような症状を発症。その後、データを正確なものにするために孤児院の寮母にも自分達が行ったように、指摘をするようにと指示して継続します。しかし、実験を続けた結果、吃音が発症しない子どもや吃音が改善する子どもがいる事が判明します。自論を否定する結果であったため、学者はこのデータを闇に葬ってしまうのです。
つまりこの実験で分かった事は、アイデンティティが構築される前の子どもに対して大人が「あなたは〇〇だ」とラベリングする事で、子どもはそれを信じ込んでそうなってしまうという「洗脳」です。
このオッサンが実験を継続したまま放置したせいで、吃音ではなかったのに吃音とされた被験者の少女は学者になる夢を奪われてしまいます。すごいのが、この被害者の方はまだ存命でカメラに証言していたこと。(92歳だったかな)
そんな恐ろしいマインドコントロールの話が脳みその片隅にあったので、『コンビニ人間』のP20を読んだ瞬間に「あっ!同じ匂いがする!」と、ゲゲゲの鬼太郎の妖怪アンテナが円形脱毛症になるぐらい反応しました。

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↑アンテナは禿げました

P60
妹は笑うが、私はミホの子供も甥っ子も、同じに見えるので、わざわざこっちのほうも見にこなくてはいけないという理屈がよくわからない。でも、こっちの赤ん坊のほうが、大事にしなくてはいけない赤ん坊なのだろう。私にとっては野良猫のようなもので、少しの違いはあっても「赤ん坊」という種類の同じ動物にしか見えないのだった。

ここまでの流れとして、古倉は友達にも家族の中にも理解者が存在せずに孤立していて、何を考えているのか分からない不思議さと、周囲の価値観に染まる事で自己防衛をする危うさがあります。
普段は感情表現が乏しいようですが、妹の麻美を悲しませたくないとか、P63では「不気味に思いつつも朝は忙しいのでーー」と客の感情を察知する描写があり、他人の心が全く分からない訳ではなく、あくまでも感情移入する事と自己表現が苦手なのだと分かります。

P52
「……なんか、宗教みたいっすね」
そうですよ、と反射的に心の中で答える。
P54
「いや、こういうチェーンのマニュアルって、的を射ていないっていうか、よくできてないですよね。僕、こういうのをちゃんとすることから、会社って改善されていくと思うんですよ」

上記引用文は古倉と白羽が会話をしたシーン。
タイトルのコンビニ人間『仕事人間』『マニュアル人間』と読む事ができて、自己表現が苦手な古倉にとってマニュアルは聖書であると解釈できます。
この時点での白羽の役割は外の世界から来た価値観の違う人間という位置付けですが、物語は白羽の「壊れた個性」を軸に動き出すことになります。(村田さんが惜しみなくヤベー奴にブラッシュアップしてくれるんだぜ)
この後、古倉恵子と麻美のやりとりがありますが長くなってしまうので割愛します。

割愛しますが「私はそれを見ながら、ケーキのクリームがついた唇を拭った。」という文章表現は上手いです。
よっ!芥川賞

P62
翌朝出勤すると、店がいつもと違う、緊張した雰囲気に包まれていた。
〈中略〉
くたびれたスーツ姿の中年の男性を、皆が目で追っていると気付いた。
彼は店を歩き回り、いろんな客に声をかけている様子だ。内容をよく聞いてみると、どうやら客に注意をしているようだった。
〈中略〉
やがて、店長がうまく対応したらしく、中年の男性は何かをぶつぶつ言いながら店を出て行った。
ほっとした空気が流れ、店内は元の通常の朝の空気に戻った。

この部分を読んだ時に私が思ったのは、迷惑な客に対して古倉がどのように振る舞うのか?という、接客業のスキルが試される場面だと思ったんです。そうしたら結局、対処を店長に任せて古倉は店長がやっていた作業のフォローに回ってしまう。トラブルが発生した場合、バイトは社員に任せるというマニュアルに沿った行動ではありますが、「物語の構成として結局何も起こらないというのはちょっとおかしくない?」って思ったんですよ。
そしたら、コレが後半でガツンと来るんだぁ。上手いんだぁ。コレがよぉ。(私のキャラもちょいちょいおかしくなりますが気にしないで下さい)

その後、バックルームで店長と泉が白羽の悪口を言うシーンに続きます。
35歳にもなってコンビニのアルバイトをやってるなんて人生終わってるという事を言った後、36歳の古倉の顔を見て2人が言葉を取り繕うという、いや〜な気持ちになるシーンです。
ここの注目ポイントは白羽の悪口を言ってると同時に自分達の仕事もdisってる点。あくまで私の考察ですが、店長には出世の道があって、泉にはバンドという夢がある。最終目的地点ではないから、現在の自分達がやっているコンビニの仕事にさほどプライドがないのだと思います。
2人は社会的カーストの低い位置に居る白羽を嗤っているわけですが、白羽の口癖が「底辺」なんです。店内には規則正しく並べられた商品があって、バックルームではマウンティングと同族嫌悪がぐちゃぐちゃになっているという対比が見えます。
そして個性を縛って周りの人間と同化して生きている古倉は、まるで監視カメラのように2人を観察して見ています。これは演出として面白いですよね。
この後、社会的な地位を確立するために「婚活」目的でバイトをやっていた白羽が女性客にストーカー行為をしてクビになり、古倉は静かに思考するのでした。

P84
店を辞めさせられた白羽さんの姿が浮かぶ。次は私の番なのだろうか。
正常な世界はとても強引だから、異物は静かに削除される。まっとうでない人間は処理されていく。
そうか、だから治らなくてはならないんだ。治らないと、正常な人達に削除されるんだ。
家族がどうしてあんなに私を治そうとしてくれているのか、やっとわかったような気がした。

P85

店長は、使える、という言葉をよく使うので、自分が使えるか使えないか考えてしまう。使える道具になりたくて働いているのかもしれない。

P84の言葉は切ないものがあります。これは私の勝手な考察なので合っているかは分かりませんが、店長が変わっても店が存続しているという事は、スマイルマート日色町駅前店はフランチャイズではなく直営店という事。正社員である店長が仕事熱心なのは、現状を打開してエリアマネージャーなどに昇進できるからでしょう。一方で古倉は18年も働いているのに、正社員に起用される事もなく都合の良い存在であり続けているんです。
オープニングスタッフを募集していた当時、空っぽの店に存在した「ガラス」は「ガラスの天井」の比喩表現だと私は思います。(バイトが正社員になるシステムは最初から存在しないっていう)

P92
「僕はそれで気が付いたんだ。この世界は、縄文時代と変わってないんですよ。ムラのためにならない人間は削除されていく。狩りをしない男に、子供を産まない女。現代社会だ、個人主義だといいながら、ムラに所属しようとしない人間は、干渉され、無理強いされ、最終的にはムラから追放されるんだ」

P93

「バイトのまま、ババアになってもう嫁の貰い手もないでしょう。あんたみたいなの、処女でも中古ですよ。薄汚い。縄文時代だったら、子供も産めない年増の女が、結婚もせずムラをうろうろしているようなものですよ。ムラのお荷物でしかない。俺は男だからまだ盛り返せるけれど、古倉さんはもうどうしようもないじゃないですか」

さて、ここで白羽ファンの方お待たせしました。ストーカー野郎が再登場します。(しかもストーカーしてるところを古倉に話しかけられるという…)
古倉は白羽が警察に捕まると思って、とりあえずファミレスに連れて行って彼の話を聞くのですが、男尊女卑と処女信仰のクソ野郎だという事が分かります。つまり前半の『外の世界から来た存在』から『男性社会の代弁者』という立ち位置にシフトしているわけです。(外の世界=男性社会)
ここでマジレスをしておくと、縄文時代は父系社会ではなく母系社会であって、出生率も高いうえ、縄文人の頭蓋骨には争った形跡がない事から平和な時代であったと言われています。また、男根の形をした道祖神とは逆に、縄文土偶の多くは女性を象っていて、その中には女性のお腹の中に小さな粘土の破片が入っていてカラカラという音が鳴るギミックのものもあったりします。

ヽ(°Д°#)ノ 白羽のクソ野郎!適当な事言ってんじゃねぇぇぇるぅぅぁぁぁぁ!禿げ散らかってしまぇぇぇぇぇぁぁぁ!

P95
「つまり、皆の中にある『普通の人間』という架空の生き物を演じるんです。あのコンビニエンスストアで、全員が『店員』という架空の生き物を演じているのと同じですよ」

私が白羽にブチ切れている間、古倉は店員という生き物になればムラから追放される事はないのだと彼を諭します。
この言葉で私は『世にも奇妙な物語 SMAP特別編』の「エキストラ」「13番目の客」を思い出しました。
「エキストラ」は香取慎吾が演じる主人公が、ありとあらゆる会話に台本が用意されている社会の中で自分だけの自由な言葉を求めるという物語です。台本にない言葉を発言すると、世界が止まってしまい人々に迷惑をかけるので、台本通りに言葉を発する事が正義とされます。オチはというと、香取慎吾が一目惚れした女性に自由を問うセリフで終わるんです。実はその自由にも台本が用意されていたというディストピアですね。
「13番目の客」はデニムショップの(冗談です)社長の草なぎ剛が、髪が伸びたので仕事の空き時間に床屋に寄るところから始まります。急いでいるから早くしてくれという草なぎツヨポンに対して、理容師は「焦らず毛の流れを見てどうたらこうたら〜」と訳のわからない事を言いながら、時間をかけて散髪を終えます。金を払って帰ろうとすると、ツヨポンは拘束されます。その店は客が来るごとに入れ替わりで理容師1人が解放されるというシステムだったのです。ツヨポンは強制的に理容師見習いにされ、そのシステムに順応していきます。
未だに私はこの店のシステムが何を意味しているのかよく分からないのですが、「そんなに金を稼いでどうするのか?」と資本主義に対して問いかけているのは確かです。
そして、ツヨポンが店を出る日がやってきます。外に出て歩き出すと、ツヨポンが解放される以前に解放された郵便局員(演じていたのは大杉漣さんだったかな)の自転車が倒れている。ツヨポンを心配した社員から社長のツヨポンに電話がかかってきますが、ツヨポンは店に戻りたいと走り出し、店の方に走り出すと店は消えているというオチ。
この2つの作品にある、決まった言葉を話す事と、居なくなった自分の穴を新たにやってきた誰かが埋める永久機関のような感じが『コンビニ人間』と共通しているなぁと思ったのです。
話を本に戻しますが、ここから古倉と白羽が同棲するという急展開を迎えます。
白羽は家賃滞納が原因でルームシェアをしていた家を追い出されていて、実家は弟の結婚を理由に二世帯住宅に改築されてしまい、弟の嫁とも仲が悪いので行き場を失っていました。そこで古倉は自分が同棲した場合に、周囲の人間達がどのような反応をするのか確認するために敢えて白羽に手を差し伸べるのです。

P110
「はあ……まあ、白羽さんに収入がない限り、請求してもしょうがありませんよね。私も貧乏なので現金は無理ですが、餌を与えるんで、それを食べてもらえれば」

古倉は感情移入する事が苦手なので、白羽をペットのように感じて、食事ことを餌と口走ります。この『餌』という語感には、先ほど店長が言っていた『使う』と同じような無機質な冷たさを感じます。

仮に読者がマゾヒストだった場合、「村田先生!ありがとうございます!」と大合唱しているかもしれませんが、起承転結の『転』を踏まえたうえで、元々は誰が誰を飼育していたのか?を考えると、経営者が労働者を飼育しているというニュアンスを感じて気持ちが悪い。
ただ、面白いのが古倉は料理ができないというキャラ付けです。本人からすると、食べたら同じなのだからわざわざ料理する意味もないという判断なのでしょうけど、私は逆に『ダメ人間』の人間っぽさを感じました。
白羽にも逆転現象があって、男性社会の問題点を象徴した立場に居た彼はその価値観が自分の考えに侵食してくる事に辟易して、女性側のスタンスに移行しようとするんです。これだけ聞くと「白羽も女性の気持ちを理解したのか」と思うかもしれませんがそうでなくて、いわば「ATMを見るような目で男を見定める女」のスタンスなんです。彼はそんな女性達への復讐だと考えて『ヒモ』になるのですが、これもまた男性社会が生み出した弊害として包括されているわけです。

P122
「え……ひょっとして、僕のこと話したんですか?」
「ごめんなさい、口が滑ったんです。〈省略〉」
「……そうですか……」
白羽さんはタブレットを握りしめて黙り込んだ。
「隠してくれって言ったのに……言ってしまったんですね」

古倉は同棲の事はあくまで妹と友人達にだけ言うつもりでしたが、店長との会話で自分が白羽の連絡先を知っているとボロを出してしまいます。
上記引用文はそれに対する白羽の反応ですが、おそらく名前とかけた村田さんの遊び心で『鶴の恩返し』ならぬ『鶴の仇返し』を匂わせていて、「立つ鳥跡を濁すんだろうなぁ」と感じました。

P125
8人目の店長は、仕事熱心なところが尊敬できて、最高の同志だと思っていたのに、会えば白羽さんの話ばかりでうんざりしていた。
〈中略〉
店長の中で、私がコンビニ店員である以前に、人間のメスになってしまったという感覚だった。
〈中略〉
今まで知らなかったが、どうやら皆、たまに飲み会をしているようで、子持ちの泉さんも夫が世話をしてくれる日は顔を出したりしているようだった。
〈中略〉
あんなに真面目だったトゥアンくんが、フランクを作る手を休めて、「古倉さんのオット、前にこの店にいたんですカー?」と言った。

P125には今まで以上に薄気味の悪さが散りばめられています。
まず、仕事上の上司が部下の私生活に介入してくる視線はパワハラやセクハラに繋がる部分で、女性客を追い回していた白羽と同じ穴のムジナです。
次に気付くのは、学生時代に仲間外れにされたのをきっかけにスマイルマートと出会った古倉が18年経っても仲間外れにされているという不遇さです。スケープゴートですよね。
そして、ベトナム人のトゥアンは日本語の上達と共に、私生活に介入してくるようになるという…。
トゥアンにしてみれば、日本という異国で生きるため、日本人以上に職場に同化しなければならないのは必然的ではあります。それでも古倉は、同じ部屋に男と住んでいるだけで、自分と似たような存在だったトゥアンまで変質してしまった事を気持ち悪いと感じるのです。
粘着質なムラ社会の気持ち悪さと、人間を処理していく機械的な気持ち悪さがあって、どっちも嫌になりますね。

P142
18年間、辞めていく人を何人か見ていたが、あっという間にその隙間は埋まってしまう。自分がいなくなった場所もあっという間に補完され、コンビニは明日からも同じように回転していくんだろうなと思う。

白羽は自分の社会的ステータスを維持するため、非正規社員の古倉を正社員にさせようとします。18年間の間、送ってきた日常を奪われた古倉は精神が不安定になり夜も眠れません。

自分が居なくなっても世界は円滑に回り、作業として捉えていた食事さえ何のためにするのかと悩む部分は読んでいて胸が痛くなりましたし、それが意味するのは「徹底的に個性を排除して、代替可能な存在にするシステム」が明確に存在しているという事です。
名著84 オルテガ「大衆の反逆」:100分 de 名著
これはまさにオルテガ「大衆の反逆」で説かれている事であり、根無し草になってしまった人の群れの恐ろしさを感じます。
P46で店長は「古倉さんがいると安心だわー」と言っていたのですが、引き止められることもなく、とても呆気なく最後の日を迎えることになります。
店長からすると古倉は自分よりも歳上で、勤務歴が長いうえに女性です。明確には書かれていませんが、表と裏を考えると店長の中にも白羽と似たような差別的な思想があったのではないでしょうか。

P143
私は、皆の脳が想像する普通の人間の形になっていく。皆の祝福が不気味だったが、「ありがとうございます」とだけ口にした。
夕勤の女の子たちにも挨拶をして外に出た。外はまだ明るく、けれどコンビニは空からの光よりも強く光っていた。
店員でなくなった自分がどうなるのか、私には想像もつかなかった。私は光る白い水槽のような店に一礼し、地下鉄の駅へと歩き始めた。

文章表現として美しい部分ですが、書かれている内容は残酷で、古倉の生きがいが奪われる事を周囲の人間達は祝福している。そして「地下鉄の駅へと歩き始めた」というのは「コンビニ店員よりも下のカーストへ落ちる」という意味を違和感なく表現しています。村田さんの才能はコンビニよりも強く光っていますね。

P150
『その腐った遺伝子、寿命まで一人で抱えて、死ぬとき天国に持って行って、この世界には一欠けらも残さないでください、ほんとに』
「なるほど……」
この義妹はなかなか合理的な物の考え方ができる人だ、と感心して頷いた。

これは、白羽の代わりに彼が滞納していた家賃を支払った義妹が電話で借金を取り立てるシーンなのですが、個人的に『コンビニ人間』の中で一番胸糞悪い会話です。
優勢思想と独裁と新自由主義が手を携えて、ニコニコしながら弱者を排除する事が、普通の世界における幸せであり理想郷なのでしょう。
R62号だったら、どいつもこいつもミンチ肉に変えていると思います。
「R62号の発明・鉛の卵 /著 安部公房」の感想 - モブトエキストラ
読者からするとフラストレーションが溜まる展開ですが、この後、白羽の義妹が『腐った遺伝子』と吐き捨てた古倉の才能が発揮されるシーンへと移ります。
白羽が古倉の仕事を選び、面接の当日を迎えます。会場に向かう途中、2人がコンビニ(以前の職場とは別)に立ち寄るとレジには行列ができています。レジ打ちをする2人の女性店員のうち1人は研修中の新人でした。

P154
そのとき、私にコンビニの「声」が流れ込んできた。
コンビニの中の音の全てが、意味を持って震えていた。その振動が、私の細胞へ直接語りかけ、音楽のように響いているのだった。

古倉は思わず身体が動いてしまって、手が離せない2人の代わりに、商品を陳列し直したり、新商品のPOPを付けるのです。2人の女性店員が古倉を本部から来た社員だと勘違いしてしまうレベルでテキパキと動きます。
これが意味しているのは『職業病』ですよね。そして思い出すのがP62の「迷惑な客」です。あの客も今の古倉と同じように、世界から生きがいを奪われた姿だったのだと気付かされます。
また、長くなるので途中で省きましたが『腐った遺伝子』に対する『細胞』という言葉の他に、2週間で身体の水分は入れ替わるから、毎朝買っていたコンビニの水はもう私の身体の中にはないのだろうと古倉が考えるシーンとも掛かっているんですよ。細胞に刻まれていた記憶が蘇るっていう。
こーれは上手い。まーべらす。

P159
「いえ、誰に許されなくても、私はコンビニ店員なんです。人間の私には、ひょっとしたら白羽さんがいたほうが都合がよくて、家族や友人も安心して、納得するかもしれない。でもコンビニ店員という動物である私にとっては、あなたはまったく必要ないんです」

トイレから出てきた白羽が見たのは、再び社会的地位の低いコンビニ店員に戻ろうとする古倉の姿でした。彼は古倉の手を掴んで面接会場まで行こうとしますが、古倉は初めて他人の言葉ではなく内心の自由から発せられた言葉で、コンビニ店員でありたいと口にするのです。古倉にとってコンビニは宗教ですから「信仰の自由」と言ってもいいでしょうね。

P161
「いらっしゃいませ!」
私は生まれたばかりの甥っ子と出会った病院のガラスを思い出していた。ガラスの向こうから、私とよく似た明るい声が響くのが聞こえる。私の細胞全てが、ガラスの向こうで響く音楽に呼応して、皮膚の中で蠢いているのをはっきりと感じていた。

物語のラストシーン。
先ほど古倉は自身を「コンビニ店員という動物」と呼んでいましたが、これに対応する言葉がいくつかあります。

  • P43 「店員」という均等な存在。
  • P46 18年間、「店長」は姿を変えながらずっと店にいた。一人一人違うのに、全員合わせて一匹の生き物であるような気持ちになることがある。
  • P60 少しの違いはあっても「赤ん坊」という種類の同じ動物にしか見えないのだった。
  • P69 コンビニで働いていると、そこで働いているということを見下されることが、よくある。興味深いので私は見下している人の顔を見るのが、わりと好きだった。あ、人間だという感じがするのだ。
  • P86 肉体労働は、身体を壊してしまうと「使えなく」なってしまう。いくら真面目でも、がんばっていても、身体が年を取ったら、私もこのコンビニでは使えない部品になるのかもしれない。

「均等な存在」は使えるかどうかの物差しで見られる「部品」であり、18年間働いていた古倉の過去の姿です。この時、「生き物」である他人は古倉を異物として見ていました。一方、自分と近い存在であった店長は経営者なので部品とは判断されず、人間に所属しています。
古倉が他人を見下す行為に人間を感じている事から、カーストの下位に位置するほど非人間的な扱いを受ける「部品」であると理解できます。では、古倉は生まれたばかりの自分では何もできない純粋無垢な赤ん坊をどのように見ているかいうと「人間」でも「部品」でもない「動物」なのです。
だから、コンビニ店員という部品ではなく、コンビニ店員という動物になった古倉に対して白羽が去り際に「お前なんか人間じゃない」と吐き捨てたのは一貫性があります。
ひたすら普通である事が正常という状態に置かれていた古倉が、自由意志に気付いてカーストの外に出て物語は幕を閉じました。
でも、この結末が本当の自由を手に入れたハッピーエンドなのかというと、そうとも言い切れない気がするのです。
彼女は自由意志でコンビニに所属したいと願うわけですが、彼女にとっての聖書は経営者が利潤を追求するためだけに書いたマニュアル、つまり労働者の取り扱い説明書です。
だから私には、せっかく魔法使いが(理性が自由を手に入れたのに)マリオネットを解放したのに、マリオネットは「持ち手は握って欲しくないけど、手足は糸で繋いでくれ」と言ってるように感じて、若干の物足りなさが残りました。
ただ、人間はそう簡単に変われないし、社会がそれを許さないという点を考慮すると「このラストしかないのかもしれない」とも思います。

おわりに

読み終わった後、私の頭の中に浮かんだ率直な感想は「男性社会でありながら、とてもじゃないけど、この作品の中では『男はつらいよ』の寅さんや『釣りバカ日誌』の浜ちゃんは存在できない。殺される」です。
現代の価値観を織り交ぜながら、コンビニ店員の日常が書かれているだけなのに、どうしてこんなにも薄気味の悪いものになっているのかと考えると、現代社会の構造が歪(いびつ)を通り越して、底が抜け始めているからだと秒で答えが出ました。

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(いびつから正しさが無くなると不しか残らないね)

作品と同様に現実世界でも多様な価値観が重要だと言いながら1つの価値観に淘汰されています。
例えば、電子マネーが一般的になってしまった国では現金を使うのは観光客ぐらいで、宗教施設も投げ銭がデジタル化され、ホームレスであってもスマートフォンを所有していなければ施しを受ける事もできない状況になっています。
こうやって資本主義は極端な方向性(新自由主義)に進んで、上位1%の人間達が99%の人々から生きがいを奪い、企業の寡占化が進んで、風も吹かずに桶屋が潰れる経済になっていくのでしょう。

あるコンビニオーナーが左肩鎖関節完全脱臼部していても休めなく無理して仕事をしてる。本部は助けにも来なく店も閉められない状態です - Togetter

昨今、コンビニのフランチャイズオーナーの問題が話題になっています。
コンビニ人間』の作中でも、店長がシフトに空きがある夜勤を担当するシーンがありますが、現実は作品よりも劣悪です。人手不足に陥った瞬間から、オーナーは365日休みが無くなってしまう。そのうえ、休みたいと言っても契約違反を理由に賠償金の支払いを求められる。
作品の中でリアルだなぁと感じたもう1つが、ベトナム人のダットの他にいつの間にかトゥアンが増えている点で、詳しく書かれていない事が余計に怖いと感じました。
というのも、国連から現代の奴隷制度と指摘された外国人技能実習制度の問題は日本の闇そのものだからです。
借金を背負わせて時給300円で働かせたり、パスポートを取り上げて移動の自由を奪ったり、技能実習と言いながら海のない中国の山奥から来た方が牡蠣の殻むきをしていたり、原発のない国から来たのに除染作業員をさせられたり、パワハラ、セクハラ、暴力、強姦、など人権侵害を前提として社会が回っているのです。
表向きには法改正がされて、特定技能に該当する一定のスキルを持った人材や、職業に限る縛りが儲けられたとか、東京福祉大学の留学生が失踪した問題がメディアで取り上げられます。
役員名簿|協会ごあいさつ|一般社団法人 日本ミャンマー協会 [JAPAN MYANMAR ASSOCIATION]
しかし、日本ミャンマー協会という送り出し機関では大企業の幹部や与党議員に加えて、国会で政府を批判する野党議員の名前も並んでいる。メディアのスポンサーに関する不都合はほとんど報じられないのです。(「ウィンウィンの関係」と口にする人間ってどうして胡散臭いのでしょうね)

こうやって感想を書いてる現在、イギリスでは未だにEU離脱問題が議論され、EUの中でリーダーシップを取ってきたドイツではメルケル首相の健康問題が囁かれ、ロシアゲート問題は解明されないままアメリカのトランプは好き放題やって、中国と貿易戦争、イランとの核合意を破棄して関係を悪化させ、つい昨日には軍のトップから有志国連合の話題が飛び出しました。
香港では中国の逃亡犯条例に反対する大規模なデモが行われ、市民の7人に1人がデモに参加しました。
日本は参院選挙の真っ只中、期日前投票者の数は確実に増えていますが全体の投票率はどうなるか分かりません。
いつから私たちはディストピアの歯車になったのでしょう。

コンビニ人間 (文春文庫)

コンビニ人間 (文春文庫)