モブトエキストラ

左利きのメモ魔が綴る名もなき日常

4月3日 初めてのように、初めて弾くように

00-06 D
06-12 C
12-18 C
18-24 H

 

A. 北海道地方-0-0-0-0=0
B. 東北地方   -0-0-0-0=0
C. 関東地方   -0-1-1-0=2
D. 中部地方   -1-0-0-0=1
E. 近畿地方   -0-0-0-0=0
F. 中国地方   -0-0-0-0=0
G. 四国地方  -0-0-0-0=0
H. 九州地方  -0-0-0-1=1
I . 沖縄地方   -0-0-0-0=0
合計回数       -1-1-1-1=4

 

03:04 ニュージーランド付近 M7.3

05:39 石川県能登地方 10/2.9 ①

10:12 父島近海            70/4.3 ①

14:48            〃            80/3.9 ①

21:44 熊本県阿蘇地方 10/2.3 ①

 

 

海外のニュース

 

国内のニュース

NHKによると今日の全国新規感染者数は3215人

死者は14人
北海道150人、東京420人、愛知108人、大阪159人、福岡84人、沖縄28人
宮城96人、福島65人、山形53人、青森31人、岩手26人、秋田24人、神奈川274人、埼玉122人、千葉110人、茨城97人、群馬54人、栃木53人、長野87人、新潟85人、静岡81人、岐阜55人、福井30人、山梨27人、石川27人、富山18人、兵庫113人、三重61人、京都42人、和歌山35人、奈良22人、滋賀12人、広島215人、鳥取51人、山口43人、岡山42人、島根17人、愛媛22人、徳島22人、香川18人、高知6人、熊本35人、鹿児島34人、大分21人、宮崎15人、佐賀13人、長崎12人

今日の東電会見

またね教授

 

昨夜、坂本龍一さんが亡くなったという訃報が飛び込んできて言葉を失った。

3月にRadioSakamotoが終わってしまったけど、どうにかまた回復して少しずつでも新しい作品を聴かせてくれると思っていた。

それは叶わなかった。

Twitter上では東京新聞に寄稿された神宮外苑の開発に関する言葉が遺言になったと言われてるけど、個人的にはやっぱりRadioSakamoto最終回の「またね」が遺言に感じるし、チャーミングな人柄を表していると思う。

何を思い出すのか。人それぞれだろうけど。

私は井上雄彦さんのファンでもあるから、お二人が雑誌のSwitchで対談していた事がスゴい残ってる。

"疲れ果てるまで繰り返そう。

違う。上手くやろうとなぞるんじゃない。百回でも、千回でも、初めてのように、何も持たない赤ん坊のように"

これはバガボンド33巻の武蔵の言葉なんだけど、坂本龍一さんと井上雄彦さんが3.11の前に対談した時に、この言葉と重なるエピソードが語られていて、それはアントニオ・カルロス・ジョビンにまつわるエピソード。

坂本さん)彼が暮らした家で彼の曲を録音させてもらった事があったんです。

6年ぶりくらいに彼の部屋に彼の音楽が響いたというわけです。

ジョビンさんの長男は音楽家であり、建築家でもあるんですが、レコーディングを見に来ていました。彼がある瞬間、独り言のようにぼそっと言った言葉を僕はたまたま聞いちゃったんですね。

「親父はどんな曲も初めて弾くかのように弾いていた」

僕はあの時、ジョビンの部屋でジョビンのピアノで、ジョビンの曲を弾いて以来、「初めて弾くように」ということ強く意識するようになりました。

井上さん)マンガとは、同じ顔を何度も何度も描く作業ですが、やはり一つずつ、あたかも生きているかのように描くこと、それは常に心がけていることですね。

「これ、スタンプでいいんじゃないか」って思っちゃう事は確かにあるんですが。笑

それはダメで、やっぱり描く事に自分自身の歓びを込めないといけないと思うんです。それってもしかしたら読者には関係のない感情なのかもしれませんけど。

坂本さん)でも、それは……不思議だけれど伝わるんじゃないかな。

坂本龍一さんは西洋音階の外側を目指して、3.11後は津波に浸かったピアノで曲をつくった。(ユザーンさんがこのピアノの音色いいですねってRadioSakamotoで言ってた)

井上雄彦さんは漫画というフォーマットが窮屈に感じて漫画を描けなくなってしまったけど、見事な親鸞の屏風を描いた。その屏風は発災前に描いたもの。救いを求める人々を描いたものなんだけど、まるで津波に飲まれるような絵だったりして。そして時を経て、漫画の枠の外に出たスラムダンク TheFirstが生まれた。

「初めてのように」「初めて弾くように」という気づきもそうだし、アントニオ・カルロス・ジョビンといえば3月の水だし、発災前に屏風は描かれていたし、運命的な繋がりを感じて仕方ない。それでいて苦しみの中という座標軸から表現をする時点というのがお二人の共通点に思う。

まぁ、とにかくすごいんだ。

坂本龍一さんは「芸術は長く、人生は短い」という言葉を今現在も体現し続けてる。

教授は芸術になったんだ。

ここからが長い。初めての永遠だ。