モブトエキストラ

左利きのメモ魔が綴る名もなき日常

「吾峠呼世晴 短編集」の感想(時代が求める漫画)

たまーに、やっているのかやってないのか分からない店というのがありますが、最近そんな感じのお店が増えているように感じます。そもそも過疎化が進んでいた中で、空間を共有する事がリスクになってしまったわけで、これではどうしようもありません。誰がこんな世界を予想したでしょうか。(未だに無症状者のPCR検査を抑制するわけわからん殺しやめて)
1ヶ月ぶりに本屋さんに行きました。潰れてなくてよかった。よかった。買う本は決まっていましたが、ぶらっと店内を見回ってみたら、イギリスから見た日本についてブレイディみかこさんが書いた本の帯を荻上チキさんが書いていて「よし!買おう!」と思いましたがそんな余裕はございません。買う本は決まっているのです。
「あっ!この前来た時に置いてなかった伊集院光×養老孟司の本だ!やった!」
そんな余裕はございませんのDeath!
漫画コーナーに行くと1ヶ月前同様、襲撃を受けた村のように平積みのスペースがガランとしていて、所々に『鬼滅の刃』が点在しています。私の目的はそれではなく短編集でした。運良く2冊の生存者を発見し1冊をゲット。そして今月号のブルータスも発見。ミッション終了。

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(金色に光っております)

所持金に余裕がなく、買うものも決まっている買い物はアマゾンの倉庫のピッキング作業となんら変わらないのではないかと思いながらレジに行くと、合計1234円でした。

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ちょっと面白いのは何故でしょう。(だからといって何もくれるわけじゃないし、レジ袋有料化してから紙袋に入れてくれなくなったのわけわかめ

吾峠呼世晴(53歳 山賊)

元々は将来を有望視されていた少年だった。彼の運命を大きく変えたのは、とある夜の出来事だった。
彼が暮らしていた村では年に一度外出禁止の夜があった。子供たちは大人から悪霊が蘇る「死者の日」だと、そう教わっていた。
その日、いつものように幼馴染と一緒に遊んでいた呼世晴は、どこか様子がおかしいと違和感を覚えた。夜になって胸騒ぎがした彼は掟を破り外出してしまう。
呼世晴「なんだアレ…」
暗がりの中で焚かれている炎のほうへ近づいてみると、奇妙な格好をした村人達が藁人形を持って踊っていた。
呼世晴「おい、嘘だろ…」
その円の中心には幼馴染の姿が。その儀式とは幼馴染が人柱にされる儀式だったのだ。呼世晴は友人を救うため農具の鍬を手に取り「やめろ!」と大声で叫んだ。大人達は呼世晴を捕らえるために襲いかかったが、彼には天性の剣の才能があり、ばったばったとなぎ倒して友人を連れて逃げようとした。しかし、友人は村の掟を破る事はできないとそれを拒んだ。その時、友人の背中に無数の矢が刺さった。
村長「残念じゃが、生かしちゃおけん」
その言葉のとおり生き残らなかった。
呼世晴だけを除いてはーー。
修羅に目覚めた彼は村を焼き払い山賊になった。枕元には愛刀と密造酒、通行人から盗んだペンタブが置いてある。

初めて『吾峠呼世晴』という名前を聞いた時に抱いた私のイメージはこんな感じでしたが

全然ちげーでした。(短編集にこんな話はございません)

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その正体はワニでした。
100日後も生き残るワニ先生。

短編集に収録されてるのは
過狩り狩り(かがりがり)
文殊史郎兄弟(もんじゅしろうきょうだい)
肋骨さん(ろっこつ)
蠅庭のジグザグ
の4作品です。

映画『鬼滅の刃〜無限列車編〜』の興行収入が『千と千尋の神隠し』に迫る勢いらしく、追い抜け!追い抜け!お布施しろ!とばかりに広告と報道が後押ししています。消費者が選んだにしろ、世の中が1つの色に塗りつぶされていくのは気持ちが悪いものです。(あ、そうそう。12月30日にNHKジブリの新作アニメ『アーヤと魔女』が放送されるのもお忘れなく)
私はアニメを見ただけで漫画を読んではいません。なので作者の純粋な思想に興味が湧き、短編集が読みたくなったというのが購入の理由です。
アニメの感想は少し前に書きましたが、正義の味方の側が『るろうに剣心』で弱肉強食を説いた志々雄真実や『ONE PIECE』のオームが言っていたような悪人のセリフを口にしている事にとても違和感がありました。(あとリョナとかブラコン、シスコンの性癖がやばい)
にも関わらず感動したとか、親子で楽しんでいる世の中を奇妙に感じます。
新自由主義ネオリベ)は学校、医療、刑務所と、ありとあらゆるものに値札を貼り、人々に競争を強いるものです。アメリカでは手術に何百万のお金がかかるので救急隊員は患者さんがどこの保険会社に加入しているか確認するといいます。保険でカバーできなければ多額の負債を抱える事になるからです。
構造的な欠陥があるにも関わらず、全てを自己責任にする社会は不幸な社会だと私は思います。もしかしたら、日本は新自由主義に染まってしまっていて、だからこういう内容でも受け入れてしまっているのではないかと。(電通とかパソナとかホリエモンとか)
その疑問が解けるかどうかは知りませんが、読んだ感想を書いていきたいと思います。

過狩り狩り(かがりがり)

大正時代。13人が惨殺される連続殺人事件が発生。警察は犯人を追えずにいた。
ドラキュラ→犯人。狩猟者に瞬コロされる
珠世→幻覚能力もってる鬼
愈史郎→探知能力もってる鬼
時川→手がジャキンってなる鬼。縄張りを荒らされて珠世に協力を求める
狩猟者→元孤児。老人に拾われ、狩猟者として育てられる。19体の鬼が放たれた森の中を7日間生き延びる試練で右腕と視力を失う。刀には惡鬼滅殺と刻まれてる

鬼滅の刃』のベースとなった2013年の作品。吾峠先生いわく、ハンデがあっても強い剣士を描きたかったのと、着物を着た吸血鬼は見た事ないから描いてみようというのがきっかけみたいです。
タイトルとなった『過狩り狩り』は「狩り過ぎれば狩られる」という意味。(あんまよくわかんない) 大正時代という和洋折衷の舞台を背景にどんよりした雰囲気が漂っています。
孤児、鬼、血しぶき、口が悪いの4拍子で物語は進んでいきます。
一番最初に読んだ感想としては言葉が読みづらい。例えば犯人のドラキュラのセリフーー

「絶滅寸前じゃあないか だとしたら大変楽しく笑えるけれどね」

独特な言葉遣いです。侮蔑的な言葉であれば短くても通じますが、人間を突き動かしたり、物語を動かすには当然説得力と相応の長文が必要になってきますよね。『過狩り狩り』にはそれがなくて、感情的な漫画に感じました。
興行成績を争ってる宮崎駿作品だと、なぜポルコが豚なのかとか、祟り神とは何なのかとか全く説明しませんけど、観客を引き込む世界観と奥域、それに映画というサイズがあるから説明せずとも成り立つのだと思います。一方で読み切りの漫画は決められたページ数で始まって終わらなければならないので、キッチリ落とし込むのは難しいと思いますが、説明不足がすぎるのはアニメーションで言うところのコマ落ちに当たると私は思います。
逆にだからこそ『鬼滅の刃』は説明口調が多くなったのではないかと考えました。(バトルシーンで異様に長い説明口調は違和感あるし、せっかくのスピード感が台無しになるという…笑)

文殊史郎兄弟(もんじゅしろうきょうだい)

甑岳厳道(こしきだけいわみち)に警察官の父を殺された静伽(しずか)が文殊史郎と文殊馬畝に暗殺を依頼する物語。
文殊兄弟は虫を使う能力を持っています。
この作品にも孤児が登場します。文殊馬畝は虫の能力が開花できないのを理由に父親にDVを受けているという設定です。吾峠先生に一体なにがあったのか…。
この作品もセリフがぶつ切りで読みにくかったです。

「うぅわ なんか虫みたいのがいるんだけど 何かぶってんだよ イカれてんな」

違和感なく読める方もいるでしょうけど、私には引っかかります。
たいていの漫画だったら「うわぁ!バケモノだぁ!」で銃乱射してバトルに移り変わるところをわざわざ会話にして「虫」と言っている。これは登場人物が異形の者を初めて見た言葉ではなく、虫だと分かってる作者の言葉ではないでしょうか。(説明させる為に言わせた)このセリフについては失敗してる気がします。
あと子どもが玩具を壊されたという理由だけで殺しを依頼したり、孤児院の女性が「馬鹿ガキ」と言ったり、兄が弟にうんざりして「死ねばいいのに」と言ったり、コミュニケーションが破綻してるので読んでいて嫌になりました。あえてこういう会話のドッジボールみたいな世界観にしているのかどうかは私には分かりません。確定しているのはあとがきに書かれている虫が苦手という事と、『妖怪人間ベム』に影響されて描いたという事だけです。こんなに描いてるのに虫が嫌いってどゆことよ。先生。笑

肋骨さん(ろっこつ)

浄化師の善而(ぜんじ)の命と引き換えに命を救われたアバラは善而に変わって浄化師になり、一人でも多くの人を助けるために邪気憑きを倒す事を決意するという物語です。
サバイバーズギルト(生き残り症候群)の色が濃い作品で、アバラはここまでの作品の能力者の中で一番感情移入できるキャラクターでした。ただ、少女を監禁して髪の毛を集めてる邪気憑きとの戦闘中に、自分がスケベである事やどんなシャンプー使ってるの?と質問したりサイコパス感は否めません。笑

文殊史郎兄弟の中にも出てきた「愛児院」という施設がこちらにも出てきます。クロスオーバーしてる世界観って楽しいですよね。尾田栄一郎短編集『WANTED!』の中で登場したリョーマも『ONE PIECE』の中に出てきたし。

蠅庭のジグザグ

金儲けの為に呪殺屋になろうと考えていた斎藤じぐざぐは、とある人物から私利私欲のために力を使うと死に至る呪いをかけられ仕方なく解術屋になる。

「自分の力でどうにもならんから言うて人に頼るなんて死んだ方がマシや」

また少年誌の主人公がこういう竹中平蔵みたいなセリフを平気で使っていて驚きました。

竹中平蔵(下)「リーダーは若者から生まれる」 | ワークスタイル | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

「呪い」をテーマに扱う能力バトル漫画ですが、2018年に『呪術廻戦』が連載されるよりも前の2015年の作品だそうです。植物のタネを使って故人から呪いを吸い取り、咲いた花が犯人の居場所を教えてくれるというのは特徴的。
ジャンプ作品では『シティハンター』『幽☆遊☆白書』や『魔界探偵ネウロ』といった探偵を扱った作品が多くあります。そうした作品はだいたい相棒がいるバディモノですが、斎藤じぐざぐは一人です。彼自身、孤独に苛まれているようですが多くは描かれていません。
この作品の犯人(呪殺屋)は呪いの言霊を他者の意識に介入して首吊りさせるという能力を使うのですが、私は読んでいる途中で2017年に発生した座間の連続殺人を想起してしまい気持ち悪くなりました。座間の犯人である白石氏は歌舞伎町でキャッチをやっていた過去があり、自身を成果主義者と名乗っていますからゾワっとします。
それで依頼人が呪殺屋に依頼した理由というのが、布団を叩く音がうるさいという騒音トラブルなんです。
京アニ放火の容疑者 騒音巡り、近隣トラブルも:東京新聞 TOKYO Web
2019年に世の中を震撼させた京都アニメーション放火事件の青葉容疑者がまさにそういう人物で。自身は巨大なスピーカーで爆音を鳴らす一方、他の住人の生活音が気に入らずに「殺すぞ」と脅迫している。近隣住民とのトラブルはいつの世もある問題ですが、最近では渋谷で路上生活を余儀なくされていた女性がクレーマーに撲殺されるという悲しい事件も起きています。殺す事でしか解決できないというのはとても暴力的で、漫画の中の世界の登場人物さえも言葉を捨ててしまうのは読んでいてツライものがあります。
この物語のラストは

「人間ってそう簡単には悔い改めたりせんからね」

というじぐざぐの言葉で終わります。
「これってそのまま、じぐざぐに跳ね返ってくる言葉だよなぁ」と思いながらあとがきに目をやると、元々は連載用の作品を無理やり読みきり作品にしたと書かれていました。そのためにお爺さんを殺した犯人が誰なのかとか、じぐざぐに呪いをかけたのは母親であるといった設定を落とさざるを得なかったとのこと。
こういう形で作品を発表せざるを得ないというのは、作者である吾峠さん自身も伝えたい事が伝わらないという、産みの苦しみとはまた別の苦しみがあったのではと想像しました。

おわりに

最初は53歳、山賊という勝手なイメージから入ったわけですが、読んでいるうちに世の中の事件との類似点が頭に浮かんでホラー漫画という認識になりました…笑(作家の高橋源一郎さんも『鬼滅の刃』を読んで「鬼の血は感染症みたいだし、口にマスクみたいなのしてるしコロナを予言してたんじゃないか」とラジオで言ってました)
先ほど例に挙げたものは凄惨な事件でしたが、これとは別に頭に浮かんだ人物が3人いて…。
1人目が諌山創先生。ジャンプ編集部は『進撃の巨人』というメガヒット漫画を取り逃がしたトラウマがあったのではと思うんです。無名の新人、少年漫画で描くには似つかわしくないグロテスクさや人体破壊描写、怪物として描かれる悪人は元々人間だった等、作品の類似点は多い。そういう意味で吾峠先生の出世というのはかなり嬉しいんじゃないかと。
(諌山創&吾峠呼世晴のSP対談があったら5億再生とかいきそう)
2人目が新海誠監督。離れたところから女子を見つめてモジモジして、結局は離れ離れで終わるというような性癖色濃い作品だったものが、川村元気というヒットメーカーと出会い『君の名は。』という、時をかける女子高生のディザスタームービーに変貌を遂げました。吾峠先生も編集者の意見を受け入れる事で薄まった部分がきっとあるでしょう。本当はこんな音楽をやりたいわけじゃないけど、仕事だから売れる音楽をやってるというミュージシャンもいますし、海外の音楽プロデューサーなんかはこういうコード進行なら何億稼げるとかパターン化してるみたいです。機械的なやり取りで大衆を喜ばせるのって、若干のディストピアありますよね。(パンとサーカス
3人目が小説家の中村文則さん。
少し前にジャーナリストの青木理さんとの対談で公正世界仮説の話をされていたんです。私もその時はじめてこの心理学用語を知ったのですが、公正世界仮説というのは〈良い事をすれば良いことがあり、悪い事をすれば悪い事がある〉という純粋な世界。だから悪い事があったら個人が悪いと考えるし、仮に被害者が発生した原因が社会の側にあるとしたら自分もそうなる可能性があるのでそこは考えない。そういう思考プロセスみたいなんですよ。この考え方を知って、私はユダヤ教っぽいなと思ったんです。ユダヤ教は神との絶対的な結びつきがあるので「悪い事が起こるのは神に対する祈りが足りない」と考える。
11/29 #D2021 企画 Vol.5 Dialogue 「さよなら資本主義 # 1歴史篇 」 - YouTube
これまた話変わるんですけど、先日D2021で資本主義の歴史について特集していたのを見たんです。昔は宗教が利子を禁止していたのに利子が認められてからは商人の力が強くなって、現在に至るような格差が生まれたと言うお話。

こうした頭の中にある様々を興味深い。
公正世界仮説ユダヤ教
新自由主義≒利子の解禁
鬼滅の刃大ヒット≒現代
何か解き明かせる匂いがしてきたところでおしまいです。(わかんないし)
世紀末にヱヴァンゲリヲンが流行って、その時もスタジオジブリ興行収入と比べてどうのこうのと騒がれたようですが、お金でしか作品の良し悪しを判断できないというのは文化的な貧困だと思います。
人間は集団で生きる生き物ですから、それぞれが不安定なとき、何か強いものに一体化したがるのだと思います。クローク型共同体という言葉が生まれた時代には劇場ぐらいしかありませんでしたが、現在はSNSがあります。過度な競争により細分化された世界の中でも繋がりたい。それを利用して商機を図ったり、権力の維持に利用する。

今年は「不要不急」という言葉で文化や芸術が切り捨てられた年でしたが、文化的な貧困がずっと続いているんですよ。きっと。

だからもっと言葉を大切にしないといけないなと思いました。

とんでもねぇ炭治郎だ!

『鬼滅の刃』担当編集者座談会|集英社 2022年度定期採用情報
吾峠先生の人物像を知りたい方は私の書いた記事なんか読んでないで、担当編集者さんの話を読んだほうがいいです。
ええ、もちろん山賊じゃないです。
(おわり)

おまけ

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カバーを外すと会えるカッパさん。

総理大臣に立ち向かうカメムシ思い出した。

カメムシが…菅首相の答弁阻む|日テレNEWS24