モブトエキストラ

左利きのメモ魔が綴る名もなき日常

「いのちの社窓から/ 著星野源」の感想(慈悲を探し回る私とタワシとチュパカブラ)

2022年2月20日

2019年後半から始まったパンデミックから2年が経過し、オミクロン株に対して専門家が「ステイホームなんて必要ない」と言い始め、毎日200人の方が亡くなる事態に悪化した。それに加えて、ロシアがウクライナ東部に侵攻するという事態が世界情勢の先行きをさらに不透明なものにしている。
ここ最近の週末の天気はというと、行きつけのバーのマスターに会いにくる感じで爆弾低気圧が上陸してくる。夜中の間に大雨が降り、その音でよく眠れなかったが、私には早起きしなければならない理由があった。雑誌『Switch』で70Pにも渡り、ミュージシャンの米津玄師さんとゲームデザイナーの上田文人さんの対談記事が掲載されるというではないか。
ワンダと巨像』というゲームは主人公の青年ワンダが、魂を失ってしまった少女モノを復活させる為に巨像を倒すという物語。これだけ聞くと『眠れる森の美女』っぽいけど、このゲームの大きな特徴は孤独を楽しむという点にある。巨像は神様で、少女の為に命を奪るという事が主題にありつつ、そんな大それた事をしないといけないのに話し相手は愛馬のアグロしかない。アクション要素も変わっていて、巨像を登る為に握力をコントロールするロッククライミング。たった一人と一頭が巨大な像に挑んでいくカメラワークも見どころで、プレイヤーはその世界の中に引き込まれてしまう。上田さんの影響を受けたクリエイターは多く存在し、米津さんもその一人だった。
買う一択である。
パンデミック×悪天候×花粉というデタラメな天気の中、早起きをして、最近ハマっているお散歩アプリ『ピクミンブルーム』を起動しつつ本屋に向かった。今回、私が欲しいと思っていた本は他にもあって、伊集院光さんの『名著の話 僕とカフカのひきこもり』と星野源さんの『いのちの車窓から』の2冊。結論から言うとSwitchは売ってなかった。店員さんに確認したけど、人気がありすぎて版元もパンク状態らしい。伊集院さんの本も無かった。とりあえず『いのちの車窓から』は買えたけど、Switchが手に入らなかったのがつらい。Twitterで販売促進ツイートするのなら、せめてそのCMに見合った量を供給してくれないと、それぞれのファンが転売ヤーが蔓延る闇市に流れてしまうではないか。
「なんてこった。あーあ。やってらんねー」
世の中、自分に都合よくできている訳ではないのは十分理解しているけど、気分障害にやられてテンションはガタ落ちだった。
昨夜の大雨で増水し、茶色く濁った川は、北風に吹かれて勢いよく海まで流れていた。その水面の上をとぼけた顔したカモ達がスイスイ泳いでいるのが見えた。
「なんという逞しさだろう」と私は感動していた。それがカモの日常であって、カモからすれば「なんだあの人間…さっきからこっち見てる。キモッ」と思っていたかもしれないが、感動してしまったから仕方ない。

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カモに励まされた後、久しぶりに野良猫にも遭遇し、水溜りの雨水で喉を潤している姿を見てまた感動した。

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「なに見てんだよ?」と思われたに違いないが、感動しちゃったんだから仕方ない。

〈腐っても探し回るのも悪くはないでしょう〉

とデカレモンお兄ちゃんご本人が『感電』で歌ってるわけだから、そのうち手に入るだろうと楽観的に捉える事にした。

『いのちの車窓から』

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『いのちの車窓から』は大病を経た星野さんが、命が入っている器である自分を電車に例えて、人生という旅の途中に車窓から見えた風景を活字に落とし込んだエッセイ集だ。
(最近、TBSラジオの報道番組『Session』に星野さんがゲスト出演されたので興味のある方はチェック)
星野源さんが『荻上チキ・Session』に出演 ~文庫化されたエッセイ『いのちの車窓から』や読書について語る | トピックス | TBSラジオ FM90.5 + AM954~何かが始まる音がする~

収録されているのはーー
「いのちの車窓から」
多摩川サンセット」
「怒り」
「電波とクリスマス」
「友人」
「作曲をする日々」
「一期一会」
「人間」
「SUN」
「ある日」
「文章」
HOTEL
「ROOM」
「武道館とおじさん」
「人見知り」
「YELLOW DANCER」
「おめでとうございます」
「寺坂直毅」
「柴犬」
メタルギアの夜」
「YELLOW VOYAGE」
コサキンと深夜ラジオ」
細野晴臣
「ある夜の作曲」
「大泉 洋」
「ゲームで」
「恋」
新垣結衣という人」
「夜明け」
「ひとりではないということ」
ーーの30篇に
「あとがき」
「文庫版あとがき」
ーーを加えた計32篇。

全体的な感想としては、これまでのエッセイ集よりも肩の力が抜けていて、文章がサラッと入ってくる感じがした。分かりやすく例えれば、お茶漬けであり、スープカレーであり、ほうれん草のクリームパスタであり、スカイフィッシュの酢漬けであり、ケサランパサランの竜田揚げであり、チュパカブラの踊り食いといったところ。個人的に気になった部分を紹介したい。

P72「文章」より
了解でう〜
虫酸が走るとはこのことである。
誤字や打ち間違いではない。大昔の自分は、この「です」を「でう」と書くことを面白いと思っていたらしい。どのメールを読んでも、体内に卵を蓄えたチャバネゴキブリを生で飲み込んでしまったのではないかと錯覚するほどに吐き気のする、気色の悪い文章がそこにあった。

これは序盤の山場。書くことが苦手だった星野さんがレベルアップ後に旅の足跡を見返したら、とんでもない黒歴史パンドラの箱が開いて発狂しそうになったというエピソード。
黒歴史って、過去の自分が未来の自分を殺しに来る「逆ターミネーターみたいなところがある。だからといって指をさして滑稽さを笑うというよりかは、絶対に誰しもが経験するであろう事でもあるから、このエピソードに関しては共感性羞恥に襲われたし、「でう〜」っていう語感からは『浦安鉄筋家族』っぽさを感じた。

P177「新垣結衣という人」より
僕は人を褒めるのが好きだ。人の素敵なところを見つけると、嘘は一つもなしで、あなたはここがすごいと伝えたくなってしまう。しかし彼女は褒められるのが苦手だと語る。
〈中略〉
だから、ここにこっそりエッセイとして書こうと思う。どうか彼女が、クランクアップまでこの文章を読まないことを祈る。
あなたは本当に素敵な、普通の女の子である。

「まさか星野源さんと新垣結衣さんが結婚するなんて!」
「逃げ恥を見ていて2人が本当に結婚しちゃえばいいのにって思ってました」
というようなコメントを腐るほど目にしたと思う。
星野源さんのにわかファンである私は『逃げ恥』に興味がなく、年末年始に一気見放送をやっていてもちゃんと見た事がない。『コウノドリ』も大河ドラマも見てないのだ。
だから、ドラマを見ていたガッチガチのムッチムチのファンがお二人の結婚を知った時にどれだけの衝撃に襲われたのか分からない。
例えば、有名人に会うと泣いてしまうぐらいに感情ジェットコースターの人が、自分が信奉してきた存在がさらに上の階層に行ってしまった時にはきっと、自分自身でも説明のつかない涙が溢れて、全身痙攣しながら奇声を発して「ぎぇあああああああ!!源ちゃん!!私を一人にしないでぇぇぇぇ!!おめでとぉぉぉあああああああ"!!ガッキィぃぃぃギィーーー!!」と、まるでチュパカブラを踊り食いをしたような状態になると思う。
「ドラマ見てなくて良かったなぁ」と私はホッと胸を撫で下ろした。

P205「文庫版あとがき」
希望があった景色から、希望のない景色に更新できたということは、その逆も可能なはずである。
だから私はこの文庫本が完成したら、旅に持っていこうと思う。
〈中略〉
あの日ベランダで椅子に座り、コーヒーを飲みながら、悲しい気持ちで空を眺め、部屋の中にも戻れず、外にも出られず、ただ青空の下で時空の狭間をループし続けている自分を外に出したいと思う。

この箇所を読んだ時、私の頭の中に『知らない』が流れてきた。

終わり その先に
遠く遠く延びる しぶとい景色
さよならはまだ言わないで
温もりが消えるその時まで

新型コロナによって日常が奪われ、羽をもがれて息の吸い方も忘れそうになった人は世界中にいると思う。地獄から復活した経験のある星野さんは、自分のファンが生きる希望を失わないようにポジティブな話題を提供し続けた。
NHKで年に1回放送される『おげんさんといっしょ』もパペットを使ったアテレコ収録になった。でも、そこからが凄かった。今度はNHKの子ども番組で世界を作り出している人形操演者さん達にフォーカスして、『ハッチポッチステーション』と『クインテット』を特集した。
さらに最近では『星野源のおんがくこうろん』
を放送。

NHK Eテレ「星野源のおんがくこうろん」 | NHK MUSIC|NHKブログ

人見知りという偽りの仮面を付けて、他人との間に壁を作っていた頃とは違って、どんどん仲間を増やしていった星野さんは、転んでもただでは起きないどころか、お互いに手と手を取り合って新しいものを創り出す力を持ってる。
『文庫版あとがき』を有言実行する姿勢は頼もしい。
トラウマと灰色の日常にまみれた世界を彩る音楽が生まれるに違いない。

おわりに

宇多田ヒカルさんのニューアルバム『BADモード』の中に『気分じゃないの(Not In The Mood)』という曲がある。クリスマス近辺になると鬱に襲われる宇多田さんのとある1日を描写した作品だ。「シェルターに泊まる為のお金がないので、私のポエムを買ってくれませんか?」と言われ、自分はロエベの財布からお金を取り出してそのポエムを買ったけど、一体どんな言葉をかければ良かったのか分からないという歌詞。この部分だけを見ると「お金持ちの宇多田さんが不必要なポエムを押し売りされた」ように映るかもしれないけど、アルバムを全体的に見ると「神様そりゃないぜ」と思いたくなるような現実でも、美しいものはあるから、自分の価値を理解してくれる人と繋がっていこうというメッセージがある。
アーティストが今現在の社会をスケッチし、それぞれの表現方法で作品に落とし込む事は大切な事だと思う。マーヴィン・ゲイの『What's Going on』という曲を初めて聴いた時、私は「お洒落やんけ。お洒落すぎるやろ。何やねん。かっこええ」とエセ関西弁になるほど心が弾んだ記憶がある。昼下がりのカフェのBGMにぴったりな耳に馴染む曲調だ。でも、それは表面的な評価であって、本質はベトナム戦争に対する反戦歌という部分だ。「寝てる場合じゃないよパトラッシュ。ザオリクを唱えてよパトラッシュ(わんわわーん)」とネロも生き返るレベルでカッコいい。
エンターテイメントに対して「政治を持ち込むな!」という意見がある。エンタメは心地の良い幻覚装置であってくれさえすればいいのに、何で対立を煽る事をするんだという消費者と、色が付いたら使いにくいとか、それでは儲からないじゃないかという大人の都合の2つが考えられる。でも、格差が拡大するという事は、見て見ぬふりをして是正されないプログラムに従って社会が駆動しているのだと私は思う。
SNSの発達によって、見たいものしか視野に入らなくなっている状況が加速度を増している中で、アーティストが沈黙し続ける事もまた政治的な態度の一つだ。社会と政治は切っても切り離せないのだから、もっと多くのアーティストが現実をスケッチして問題提起をした方がいいと私は思う。社会で起きる出来事を共有する事は今生きているからこそできる事だ。
そういう意味で、『いのちの車窓から』はエッセイ集というよりかは星野さんのライフワークになりつつあるんじゃないかと感じる。
クリスマスに渋谷のスクランブル交差点でボロボロのコートを着たおじいさんが小さいサンタの帽子を被ったタワシに紐を付けて歩いていたとスケッチした星野さんは素晴らしく面白い。次回のエッセイ集がいつになるかは分からないと書いてあったけれど、ファンは口を揃えてこう言うだろう。
〈了解でう〜〉
(おわり)

追加

米津玄師の薄い本、手に入りました🙏