モブトエキストラ

左利きのメモ魔が綴る名もなき日常

『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』の感想

J-waveナビゲーターのサッシャさんが、新型コロナウイルスに感染→復帰してしばらくが経過。復帰した時にSUPER BUTTER DOGの『家族の風景』が流れて、歌詞と照らし合わせてサッシャさんがこれまでの幸せを噛み締める場面がありました。金曜ロードショーではサッシャさん不在で、ナレーションが無くなったり、朴璐美さんが一人でナレーションをしていて、今週の放送では二人の声が戻っていてよかったです。

ここまでは爽やかなオープニング。
ここからは地獄みたいに酷評の嵐にそびえ立つ『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』というアニメーション映画の感想です。
私はこの映画を初めて見たのですが、数年前に『万引き家族』のインタビュー(ラジオ番組だったかな)で「今の日本映画を見てどう思いますか?」と質問された是枝裕和監督が「高校生がワープする映画はもういいんじゃないかな?」と答えていて、私はてっきり『君の名は。』を指しているのだと思っていました。『打ち上げ花火〜』を見終わった現在「ああ、コレのこと言ってたのね!」と納得。開始5分で怪しい雰囲気はありましたが…。(これについては後で)

サイコスリラーの金字塔『耳をすませば天沢聖司という男が出てきます。彼はヒロインが自分の事を好きになるように画策し、まんまと観客をも騙してハッピーエンドを迎える完全犯罪を成し遂げます。
「ボーイミーツガール」を成立させるには、感情のやりとりと成長を描く必要があります。『耳をすませば』の主人公はレクター天沢ではなく雫であり、「ガールミーツボーイ」という女性の目線だったので陰湿なストーカーと見破られないまま綺麗に騙されたのだと私は思います。そして盲目なのが恋であると。
他方、打ち上げ花火は横から見ても下から見てもおっさん目線で気持ち悪いので、ブルーツ波を浴びた観客がベジータのように「汚ねぇ花火だ」と酷評するのも無理もないと思います。
本の学校では未だに男子生徒が欲情するからポニーテールは禁止だとか、入試の採点に補正をかけるといったように、女性の権利を平気で侵害するルールがあります。それを踏まえて今作を見るとスカートがフリルになっていたり、トランクから下着が出てきたりと、違和感と気持ちの悪いシーンがあり、フィクション世界の中でさえ不自由である地獄にうんざりするのです。(なずなという名前の女性に植物のナズナをもたせてクルクルさせるあたりヤバタニの園)
川村元気氏は『もしも世界から猫が消えたなら』と発想ができるのに、女性目線だったらとは考えなかったのでしょうか?
東京に上京して2人で暮らす為にキャバクラで働いて貰おうという発想は、コロナで困った女性が風俗で働くから楽しみだと考える岡村隆史と同じ臭いがして仕方ありません。仮にヒロインが能動的にその選択をするとしても、主人公は何の魅力もない陰キャラで、ヒロインが目をハートにする理由が見当たりません。レクター天沢と違って、どこを好きになったのかという成長過程が描かれていないのは致命的に思います。どこでも昼寝できるのび太君だって、仲間が窮地に立たされればガンマンになるのに、この作品の主人公ときたらモジモジしながら過去を改ざんして、妄想の海に少女を引きずりこむ事しかしない。エロい海坊主じゃないか! 岩井俊二作品の清涼感はどこへ消えたのでしょうか。(そうか、あの球体は目玉のおやじだったのか!)

今のご時世で考えれば「夜の街はけしからん!」と、無能な政府とアホなマスコミとバカな国民に吊し上げられて、ヘトヘトになって家に帰ったら、女性を物のように扱うサイコ野郎がいるわけですよ。冗談じゃありません。
グッバイ!君は私の運命の人じゃない!
んだば、辛くもねぇから出てってけれ!
オラ、こんな村やだ!東京へ出るだ!

コロナ禍で新たな“名もなき家事”が誕生…その負担が女性に大きいワケと対処法を聞いた

Twitterのトレンドになっていたハッシュタグを辿ると「お金も払わず見てるのに、悪口ばかり言いやがって!」というコメントがありました。
たしかに、この映画が好きな方からすれば気分の良いものではないでしょう。
私は開始5分ぐらいで笑ったポイントがあります。主人公が自宅から自転車で下り坂を下って学校に向かう途中、同級生と合流する場面があります。その時にキックボードに乗ったヤツとスケボーに乗ったヤツが出てきて「こんなヤツらいねーよ!笑」と、私は結構ウケました。
あと褒めるポイントとしては、映画のラストで米津玄師が颯爽と現れて100点を叩き出して帰る感じがカッコよかったです。

 

映画の感想からはもう離れますが、僕のリリックの棒読みが引退した後もネットカルチャー出身のアーティストとして立ち続ける米津玄師はスゴイと思ってます。昨日なんてFPSゲームの『フォートナイト』の中でライブを行うという新しい試みを行なっていました。


(芋砂の惑星

新曲の『感電』は野木亜紀子さんが手がけるドラマ『MIU404』のエンディングテーマに起用されてます。主演は星野源、曲は米津玄師、『アンナチュラル』からキャラクターを引っ張り出してきたりとやりたい放題です。
ここ数年のメジャーな音楽シーンを牽引するのが三浦大知星野源、米津玄師、あいみょんの4人。ダンス&ボーカル枠は長年ジャニーズがほぼ独占してきましたが、ジャニーさん亡き現在は凋落瓦解。三浦大知さんは神なので台頭してきた事は当然といえば当然です。星野源さんはシンガーソングライター枠+αの人。イエローダンサーという名盤を作り、朝ドラとコント番組でNHKを抱き込みつつ、ドラえもんの主題歌も手がけちゃって、全世代全方向から支持されるアーティストになりました。「ああ、また八嶋智人とか大泉洋とか佐藤二朗みたいな笑いも分かりますみたいなめんど臭い役者さんが出てきたよwww」と思っていた芸人どもは今頃歯ぎしりしている事でしょう。

そして、デカレモン兄ちゃんはシンガーソングライターであり、ボーカロイドというDTMのジャンル、そしてアートワークも手がけるまさにマルチクリエイター。「マルチクリエイターってのはこういう人間を指すんだぞ!」と、持続化給付金で東京五輪の損失の穴埋めをする電通に教えてあげたくなります。
この素晴らしい3人が間接的にも繋がってしまう事が私はつまらない!
(いきなりどうしたんだ? いや、私はずっとどうかしてる!)
お友達やら知り合いで固まって、ライバル意識が消え失せた途端にぬるま湯に変わるというのは政界、角界、テイラーとケイティを見れば明らかです。それに比べてノエル・ギャラガーリアム・ギャラガー兄弟なんて未だに仲が悪く、バンド活動もぐちゃぐちゃ。
分断が叫ばれる昨今、仲が良いに越したことはないのです。(どっちなんだ)

ここでぶっ込みたいのが『馬と鹿』はあいみょんを意識した作品なんじゃないか?という事です。『馬と鹿』のサビの後半のメロディがあいみょんの『愛を伝えたいだとか』に似てるうえに、キーワードも対応しています。

『愛を伝えたいだとか』
バラの花に願い込めてさ
馬鹿な夢で踊ろう 愛を伝えたいだとか
臭いことばっか考えて待ってても だんだんソファに沈んでいくだけ

『馬と鹿』
何に例えよう 君と僕を
踵に残る似た傷を
晴れ間を結えばまだ続く
行こう花も咲かないうちに
これが愛じゃなければなんと呼ぶのか
僕は知らなかった
呼べよ 恐れるままに花の名前を
君じゃなきゃ駄目だと
鼻先が触れる 呼吸が止まる
痛みは消えないままでいい
あまりにくだらない
願いが消えない
止まない

ダンス神、スーパーすけべタイム、デカレモン兄ちゃん、官能小説愛好家の惑星直列しちゃったかコレ。音楽界はどうなるんだ。『ヨルシカ』とか『YOASOBI』とか『ずっと真夜中でいいのに』とか水野真紀水野美紀酒井美紀、坂井真紀みたいになってきてるし、アニソン歌手は相変わらず速いBPMで訳の分からない曲量産して心に刺さらないし、中村佳穂さんは天才すぎて凡人には歌えないし、竹内アンナさんも京都だし、miletさんはハイエナの不名誉なイメージを払拭したいと面白い事言ってるしーー

この文章と同様に「で、結局のところ何が言いたいの?」というのが、この映画の感想である点は揺るがないと思います。

(おわり)