ごめんね桜井さん
本屋の新刊コーナーでひときわ目立っていたのがこの一冊。
私はその数分前まで『スズメバチLIFE』という本を立ち読みしていたので「新しいスズメバチの本が文庫化されたのか。秋はスズメバチの季節だもんね♪」なんて思ったのですが、著者名を見ると小島秀夫の文字が!
本当はスマブラの桜井政博さんの『ゲームについて思うこと』を買うのが目的だったけど、スマブラにスネーク出てるし、裏表紙には「特別対談:星野源」って書いてあるし、買うしかないのです。新潮45の差別的な問題があってから、新潮社の本は買うのやめようと決意したはずが、わりと買っている現実にも気付かされます。さすが新潮社。それだけに罪深い。
もう2つ書いておくと、小島秀夫さんが『DEATH STARANDING』に関して、これまでのゲームは棒のゲームだったけど、このゲームのコンセプトは縄であって、安部公房さんの『なわ』を参考にしてると語っていたり、Twitterで安部公房作品の中で個人的ベストを発表したり、『DEATH STARANDING』に星野源&三浦大知が絡んでいるので、ゲーム好きで安部公房好きで、星野源と三浦大知ファンである私はこの本を買うしかないのです。
小島秀夫 on Twitter: "僕の好きな安部公房作品マイベスト4選。「他人の顔」「砂の女」「箱男」「燃えつきた地図」。… "
驚くべきはその価格です。なんと!630万円ポッキリ!もってけ泥棒プライス!風来のシレンで言えば、階段の目と鼻の先に商店があるようなものです。こんな魅力的な本が山積みされているのにベストセラーがヘイト本だったり、トンデモ本だったりするんだから世の中狂ってますね。掘り出し物の黄色い本を持って小躍りする私の横を、目が不自由な女性とお母さんが通り過ぎました。女性は白杖は持たずに、右腕をお母さんと繋いで、左手で空間を認識しているようでした。お二人がどんな本を買ったのかとても気になりましたが、店内でスネークのようにほふく前進で追跡すると捕まってしまうので諦め、見つからない桜井さんの本も諦め、この本+他二冊を買って書店を後にしました。
はじめに MEME(ミーム)が繋いでくれるもの
ゲーム創りから離れ、しばらくは小規模な映画を撮ったり、文章を書いたりという生活をしようかと思った瞬間もあったが、世界中の仲間やファンの声に応えたいという気持ちの方が強かった。
〈中略〉
時間がいくらあっても足りない状態だったが、それでも毎日、欠かさなかったことがある。
それが本屋に通うことだった。
本屋に通い、本を手に取り、気に入ったものを購入し、読みふける。出張の時も鞄に何冊もの本を入れておかないと落ち着かない。それは今に至るまで変わらない習慣であり、習性だ。
〈中略〉
本は一人で読むものだが、そこで繰り広げられている物語を多くの見知らぬ人と共有できる。
孤独だが、繋がっている。
その感覚に、子供の頃からずっと助けられてきた。
〈中略〉
本書に収められた文章は、僕が僕自身の足と目と頭で選んだ本や映画のごく一部だ。このラインナップが、いやこの文脈が小島秀夫という人間と、作品を創った。これらが伝えてくれたMEMEが僕に創作や生きるためのエネルギーをくれた。
どの作品も、オリジナル版が世に出てから今に至るまでの年月を超えても、魅力を失っていない。だからこの文庫版で、僕はもう一度、これらのMEMEを「あなた」に手渡したいと思う。そのMEMEが、僕たちを繋いでくれることを願って。
「はじめに」とは思えない濃度の文章で驚きました。シリーズ物の映画の最終章を見終わったような感覚です。その中で、読書をしている姿は孤独に見えるかもしれないけど、この疑似体験によって文化や知識の継承がなされ、多くの世界に繋がっているという事が書かれています。
とくに私が共感したのは、本屋さんに行って9割のハズレの中にある1割のアタリを引き当てる感覚の話です。ここのところ面白い本に出会えず、幻覚作用をもたらしてくれる大川ぶくぶ先生のクソ漫画(褒めてます)が更新されるのを毎晩待っている私にとって、まさにこの本は1割のアタリだと確信しました。
ぽぷたん / 大川ぶくぶ / まんがライフWIN
あと、レシートを本に挟んでおく事で記憶を呼び覚ます事ができるという話も共感しました。同じように私も感想文を書く時は、その時どんな感じだったのかをなるべく書くようにしているんです。小島さんの読書量に比べたら、私の読書量なんてローションの抜けた鼻セレブ(鼻貧民)ぐらいの厚みしかありませんけど、共感できる点が多くて、ページをめくるのが楽しいです。
第1章 僕が愛したMEMEたち
第1章では小島さんに影響を与えた作品群について綴られています。2010年8月号〜2013年1月号の『ダ・ヴィンチ』に掲載されたものが収録されているそうなのですが、これがまぁ濃厚。
作品名を列挙してみます。
- 『星を継ぐもの』著ジェイムズ・P・ホーガン 訳池央耿
- 『闇よ、我が手を取りたまえ』著デニス・レヘイン 訳鎌田三平
- 『ジェニィ』著ポール・ギャリコ 訳古沢安二郎
- 『錦繍』著宮本輝
- 『砂の女』著安部公房
- 『初秋』著ロバート・B・パーカー 訳菊池光
- 『そして誰もいなくなった』著アガサ・クリスティー 訳青木久惠
- 『山月記』著中島敦
- 『阪急電車』著有川浩
- 『オルゴォル』著朱川湊人
- 『サトリ』著ドン・ウィンズロウ 訳黒原敏行
- 『コインロッカー・ベイビーズ』著村上龍
- 『復活の日』著小松左京
- 『漂流』著吉村昭
- 『呪われた町』著スティーヴン・キング 訳永井淳
- 『ミッケ!』著ウォルター・ウィック 訳糸井重里
- 『星やどりの声』著朝井リョウ
- 『聞かせていただき光栄です-DILATED TO MEET YOU-』著皆川博子
- 『悪童日記』『ふたりの証拠』『第三の嘘』著アゴタ・クリストフ 訳堀茂樹
- 『神々の山嶺』著夢枕獏
- 『都市と都市』著チャイナ・ミエヴィル 訳日暮雅通
- 『火車』著宮部みゆき
- 『シャドー81』著ルシアン・ネイハム 訳中野圭二
- 『メタルギアソリッドガンズオブパトリオット』著伊藤計劃
- 『仮面ライダー1971〈カラー完全版〉BOX』著石ノ森章太郎
- 『漂着教室』著楳図かずお
- 『海街diary』著吉田秋生
- 『ひとりぼっち』著クリストフ・シャブテ 訳中里修作
- 『死刑台のエレベーター』監督ルイ・マル
- 『アイガー北壁』監督フィリップ・シュテルツェル
全30作品(実際はもっとでてくる)というボリューム。それでいて、読みやすい長さなのも特徴で、冒頭で小島さんが書いたように、鞄に入れて持ち歩くには最適なサイズに感じます。
読んでいて思ったのは、小島さんの文章は押井守さんに近いんじゃないかという事と、「喪失」というキーワード。
文章の中には、13歳の時にお父さんの欽吾さんが目の前で倒れて搬送先の病院で亡くなった事や、その孤独をミステリー小説やSF小説が埋めてくれた事、2010〜2013年の間には東日本大地震(地震、津波、原発事故の複合災害)があり、フィクションのような現実の中で子どもを育てる親としての目線で書かれています。喪失感を作品で埋めていた少年が、クリエイターとなって人々を歓喜させる側へと成長したという小島さんの物語があるわけです。
偶然って凄いなぁと思うのは、45歳という若さで欽吾さんの命を奪った「くも膜下出血」に星野源さんも倒れて2回入院してるんですよ。
「働く男(文庫版)/著 星野源」の感想 - モブトエキストラ
しかも、星野源さんも若い頃にお爺さんを亡くした経験があって、それが作品に反映されていたりする…。
対談が楽しみでしかたねぇ!
楽しみは後にとっておくとして、小島さんが『砂の女』についてどのように評価しているのかご紹介します。
P45〜46
村上龍はアメリカ人脚本家との会話で「全ての物語は主人公が穴に落ち、そして〈穴から這い上がる〉、もしくは〈穴の中で死ぬ〉というプロットに沿って創られている」と言及した。なるほど、ほとんどの物語がこの型に塡っているように思える。しかし、奇才安部公房は一筋縄ではいかない。この『砂の女』では〈穴の中で暮らす〉という3つ目のプロットを提示している。
あの『不思議の国のアリス』でさえ、穴の中での経験を基に現実へ還す成長小説として書かれている。しかし、『砂の女』は異なる。穴に落ち、最初は這い出そうと奮闘するものの、最後にはその穴に自ら留まる事を選ぶ。待ち望んだ逃亡手段を得た時、男は「穴に留まる」ことの自由を悟り、もうひとつの自由を見送る。
まさにこれが人生。この第三の選択こそが社会での、職場での、家庭での、恋愛での、日常を司る規範ではないだろうか。
『砂の女』は男と女、都市と地方といった比較対象がありつつ、日常と非日常の境目で苦しむ労働者の視点があったりと、「一言で紹介してごらんよパトラッシュ」と言われても「わて犬やから喋れまへんねん」「喋っとるやないかーい!」としか表現できません。それをこんなに分かりやすい文章で表現できるのは上手いなぁと感じます。マイナス点があるとすればネタバレしてるくらいで。
もしこれから『砂の女』を読む方がいるとすれば、面白さのあまりのめり込んで辛くなる場面もあると思います。その時は犬漫才を思い出して欲しいです。(P197で「これ本当に犬なのか?」って思うはず)
第2章 ある日、どこかで、好きだったこと
第2章は幻冬社から出ていた「papyrus」2007年4月Vol.11〜2009年6月Vol.24に掲載された「ある日、どこかで、好きだったこと」にまつわる文章が綴られています。そのラインナップはというとーー
- 『タクシードライバー』監督マーティン・スコセッシ
- 『刑事コロンボ 第三の終章』著W・リンク&R・レビンソン 訳野村光由
- 『日曜洋画劇場40周年記念 淀川長治の名画解説』
- 『奥さまは魔女』&『大草原の小さな家』&『クレヨンしんちゃん』
- 『ウルトラセブン』
- 『2001夜物語 原型版』著星野之宣
- 『ブレードランナー』監督リドリー・スコット
- 『宇宙戦艦ヤマト』
- 『JOY DIVISION』
- 『社長 島耕作』著弘兼憲史
- 『2001年宇宙の旅』監督スタンリー・キューブリック
- 『天才バカボン』著赤塚不二夫
- 『WALKMAN(SONY)/iPod(Apple)』
- 『宇宙』
ご覧の通り第1章に負けず劣らずのボリュームで、書籍や映画以外にもアニメや漫画、音楽についても語られています。
どこから読んでも上質な面白さがありながら、小島さんの心の底にあるお父さんとの思い出やノスタルジックな記憶が、読者にカラーとセピア色の風景を交互に見せていくのです。
とくに私が驚いたのは小島さんの記憶力です。お父さんの影響で映画を見るようになったというのはとくに珍しくないエピソードですが、3歳の時に見た日曜洋画劇場の事を覚えているんですよ。凄いですよね。それから淀川長治さんのコメントを聞いて映画を理解するという英才教育を能動的にやっていたそうなんです。えっと…小島さんは56歳だから映画のファン歴53年になるんでしょうか。知層の厚さが尋常じゃありませんね。
その一方で、小学5年生の時に刑事コロンボのノベライズ本に出会うまでは、本に興味がなかったと書かれています。ご本人からすると遅いのかもしれませんが、私からすると十分早いと思いますし、その本がコロンボなどのミステリー小説ですからね。頭が良すぎて友達と話が合わないという、天才特有の孤独が伺えます。
幼少期のタモリさんが子どもと話が合わず、お遊戯会も子どもっぽすぎて嫌気がさして、幼稚園に行かずお年寄りの中で過ごしたというエピソードを思い出しました。
(ちなみにタモリさんの師匠は小島さんも影響を受けた赤塚先生)
で、私が第2章の中でも特に気になったのが以下の部分。
P235〜236
なぜ日本発の「ゲーム」は「MANGA」になれないのか。それは「テレビゲーム」がいまだに市場先行の商品であるからだろう。「マンガ」は「子供向けまんが」という差別や規範を打ち破り、中には芸術や哲学の域に達している「作品」もある。星野さんらの「MANGA」は小説でも映画でもない、「MANGA」でしか表現できない唯一無二の「作品」である。だからこそ、世界基準の「MANGA」という称号が与えられているのだ。
2008年の2月に書かれた文章ですが、ゲームデザイナーの小島さんの目から捉えたゲームと社会の距離感は今に通じているなぁと感じました。
「どれだけ研鑽を積めばウメハラの領域にいけるのか」 東大卒プロゲーマー・ときどが語るeスポーツ界の新たな課題と“最強”への道筋 (1/4) - ねとらぼ
今、日本でも「eスポーツ」が巨大なマーケットになりつつありますが、数日前にネットメディアの「ねとらぼ」から、プロゲーマーのときどさんのインタビュー記事が配信されていました。その中で、プロゲーマーという職業もなく、ゲーム害悪論の価値観の中で本当はゲームをやりたいけど辞めざるを得ない亡霊を背負ってるからウメハラさんは強いのだと語られていたんです。
小島さんの文章から10年が経ち、任天堂の岩田さんの努力やスマートフォンの普及によって、プレイヤー人口は確実に増えたでしょう。ゲームを評価する人も間違いなく増えたでしょう。しかし、全体としてみた時にゲームはまだ商品の域を出ていないと感じるのです。素晴らしいゲームは多くありますが、「プレイヤーをギャンブル依存症にして財布を吸うゲーム」も多い。ここにも9割のハズレと1割のアタリがあると言えるでしょう。このeスポーツバブルが弾けた時に、何が消えて、何が残るのか気になります。
また長くなっちゃうんですけど、この文脈で最近日本における『芸術』の扱いについて分かりやすい事例がありました。愛知トリエンナーレと川崎の映画祭の件です。
是枝監督、慰安婦映画「上映を」 川崎市「懸念」表明批判 | 社会 | カナロコ by 神奈川新聞
ゲーム関係で言えば、嘘と買収の疑惑が拭えない東京五輪の誘致の際の安倍マリオや、自民党の政治家を七人の侍をモチーフに描いた天野喜孝氏のように、公権力が腐敗していても、それを風刺するのではなくプロパガンダに加担する動きがあります。(あとはカジノが絡んだら終わりだと思う)
現代の日本では政治家が気に入らないものに予算は付けないという器の小さな話になってしまうから、あらゆる産業がその汚れた掌の上で踊るしかない。名ばかりの第三者機関は独立性が弱く、国民の理解力も低いから制度設計が変わらないという負の連鎖です。
【作品解説】バンクシー「東京 2003」 - Artpedia アートペディア / わかる、近代美術と現代美術
お台場の水質悪くスイム中止 パラトライアスロンW杯: 日本経済新聞
それと真逆に位置しているのがバンクシー。彼が『猿の議会』を発表してから時は流れ、イギリスはEU離脱で混迷を極めています。ネズミの絵が見つかった東京では、汚水にまみれた環境でアスリート達を泳がせるという愚行があったのも記憶に新しいですね。
バンクシーのやっている事はただの落書きであって、落書きは犯罪だという考え方は正義です。しかし、その正義がやる事といえば、ストリートという不特定多数の人が見られる環境にあるメッセージ性の強い絵を剥ぎ取って、オークションで金額に換算して個人の物にしてしまうだけ。
もう一つ『海街diary』繋がりで書いておくと、市民革命によって自由を手に入れた(引き換えに貴族戦争から国民戦争へと規模が拡大した戦争は泥沼化するわけだが)フランスでは、映画は文化であって、政権に批判的な内容であっても、独立した第三者委員会が映画界により良い影響をもたらすと判断すれば予算が付けられるし、ダメなら当然に説明されると是枝監督がラジオに出演された際に語っていました。
本当に文化として昇華したいなら、独立性と成熟度が問われると思います。
海老原いすみ on Twitter: "言葉の壁について。
是枝監督)モロッコのマラケシュ映画祭で完璧な同時通訳さんと巡り合ってからは、字幕もやってもらっています。彼女はメモを取らずに話していて、僕はフランス語が喋れないのですが、ここで笑って欲しいというところで相手が笑うんです。天才的だなと思います。
#jamtheworld"
(Twitterにメモしてあるので気になる方がいれば)
ゲーム業界の中にも様々な考えの方がいると思いますが、人権感覚やリテラシーやについて常にアップデートしていかないと、いつまで経ってもゲームは文化として認知されないばかりか、ブリザードみたいにスポンサーを失っても不思議ではないと思います。
ブリザードが香港デモへの対処からスポンサーを失う - GIGAZINE
だからと言って、横行する正義が1つの価値観で塗り潰していくのも不健全です。
現実ではできない事ができるというのがゲームの醍醐味ですからね。
なぜゲームの中でも信号を守りたいのか?星野ルネ&宇多丸が語る『グランド・セフト・オート』談義
「分断の時代」は「MEMEの質が試されている時代」とも言えるでしょうね。
おわりに MEMEから絆(ストランド)へ
P305〜311
ME+MEで世界と繋がる。
本書のオリジナル版で、僕はそう書いた。MEMEは、人と人が繋がることで継承されていく。どんな人にも、どんな物にも物語は宿っている。時代や地域を越えてMEとMEを繋いでいくシステムが、物語を読む、語る、誰かに伝えるという行為なのだ、と。
〈中略〉
普段、気にしていなかった物事が、突然、繋がることがある。それは偶然のように見えていながら、実は必然であり、予定されていた出会いなのだと、僕は理解している。
それはオカルトでも神がかりでもない。"読む""出会う"ということを能動的に行うことで、自ら引き寄せて繋がりを創っているのだ。新しいMEMEの創造には、そういう背景があると思う。
〈中略〉
物語の、MEMEの力を僕は信じている。それは人を、世界を、豊かにする。だから僕は物語を語り、遺したい。多くの物語を伝えたい。それが人々を繋ぎ、世界と時代を繋いでいく。それは"創造する遺伝子"となって、誰も体験したことのない世界を見せてくれるだろう。
"僕が愛したMEME"は、僕と「あなた」を絆(ストランド)で結びつけて、新たなMEMEを創造してくれるだろう。
それを願い、僕は今日も本屋に足を運び、まだ見ぬストランドを探す。
2019年7月 小島秀夫
カッコ良すぎやしませんかぁぁぁぁ!!
小島さんの文章はカッコ良すぎます。
これまで、作品について様々な想いが綴られてきたわけですが、文章の構成が本当に上手いし、文末表現もカッコ良い。それでいて『そして誰もいなくなった』のパートではQ&A方式の構成で落語のようなオチを付けていてユーモアもある。ゴーストライターが書いたタレント本と違って、ここに書かれた作品との触れ合いは嘘ではないのだと、この文章力が証明している。(実はテヘペロでしたと言われたら笑うしかないけど…笑)
上記引用文の中でグッとくるのが「遺したい」というフレーズ。というのも、これまた小島さんのお父さんの話として、東京大空襲を生き延びて兵役を迎える前に終戦になったので出征は免れたと、P246ページに書かれているんですよ。
「あとがき」の「遺したい」と、父親が死んでいたら自分は存在しなかったというリアルが符合して読めるし、だからこそ自分に映画の素晴らしさを教えてくれた父親と同じように、自分もMEMEを創造し、より多くの他者に託していこうというクリエイターとしての決意表明なんですよ。
カッコ良すぎ!くぅ〜!(ここ川平慈英っぽく脳内再生して)
それが311ページで締めくくられているという事に喪失と創作の循環を感じました。偶然でしょうけどね。
さぁ、ここからお待ちかねのスーパースケベタイム師匠との対談です。
対談 繋がりって、なんですか 星野源×小島秀夫
「いやぁ、ちょっと待ってくれ!
こんなに楽しみにしてた対談がたった11ページ(実質10ページ)しかないのは短い!新潮社は何を考えているんだ!」
感動の傍らで、あっという間に平らげてしまったメインディッシュに舌鼓ではなく若干の舌打ちをしている自分がいました。それでもクリエイター同士の熱い会話は、組織の軋轢の中で苦しんでいる多くの人の背中を押す内容になっています。
見所はお互いを評価したうえで、小島さんは星野さんにゲームも作れると思うと言い、星野さんも小島さんに音楽を作れると思うと言う場面。そこから最新作の『デス・ストランディング』についての言及があります。
P322〜
星野 なんだろう、小島さんがスタートを切ってないだけな気がする。期限を切って、無理矢理にでも作って世に出してしまえば回り始めると思います。好きだから、ちゃんとしたものを出したいという気持ちはわかりますけれど、酷くても出してしまえば、小島さんなら音楽になっているんじゃないかな……。
小島 なるほど。世の中に出すというのは重要なのかもしれない。『デス・ストランディング』は、かなり新しいゲームで、世の中がどう受け止めてくれるのかは、気になります。
〈中略〉
ちょっとネタバレになっちゃうけれど、主人公のサム・ブリッジスは、ゲーム中の行動次第で「薬を定期的に届けないと死んでしまう男」に出会うことがある。サムは運び屋だから、彼に頼まれて薬を運ぶわけです。そこで彼との繋がりが生まれる。でも物語の大筋には関係ないから、プレイヤーによっては、つい、彼に薬を届けるのを忘れてしまうかもしれない。そうすると彼は死んでしまう。
星野 えっ、うわ、なんて心にくるギミックを仕込むんですか。
前半では星野さん自身のエッセイで書かれていた、苦手な事こそ仕事にしていくという哲学が現れています。そして小島さんは全部自分でやりたい人だから、器用にこなす星野さんの事を若干ムカついてるっていう。笑
『デス・ストランディング』についての部分は、読んでいて二つの作品が頭に浮かびました。一つは映画『恋はデジャ・ブ』 もう一つがアプリの『ダンジョンに立つ墓標』です。何気ない生活の中で何が大切な事なのか気付くという点で『恋はデジャ・ブ』を、誰かの死によって攻略ルートが分かるというゲームシステムから『ダンジョンに立つ墓標』が浮かんだのです。
オープンワールド全盛期の今、全世界の見知らぬ誰かとランダムに同じ世界を共有できるのがスタンダードになっています。昨年発売された『fallout76』は荒廃した世界の中で、仲間と共に冒険したり、クリーチャーを倒したり、核爆発させたりする対象年齢18歳以上のCERO:Zゲームです。来年に大型アップデートで人間のNPCが追加されるようで、没入しているプレイヤーはゲームの中で生きていると言っても過言ではないでしょう。同じくオープンワールドを舞台にした『ブレスオブザワイルド』は普通に生活しているだけのゴブリンの集落を殲滅するゲーム(語弊があるけど否定もできない)なのに対象年齢は12歳以上です。笑
何が言いたいのかというと、自由度が高いほど面白いけど、その無数の選択肢の中には残虐性が常にあるという事です。
『デス・ストランディング』がどのようなゲームなのか全貌は分かりませんが、恐らくは選択の積み重ねの中で、とても儚い経験(分かりやすくいうとトロッコ理論の連続)をするのではないかと思いました。
おわりに
例えばMr.Childrenの『Worlds end』
飲み込んで吐き出すだけの単純作業
繰り返す。
自動販売機みたいに、この街にボーっと突っ立って。
そこにあることで誰かが、特別喜ぶでもない。でも僕が放つ明かりで、君の足下を照らしてみせるよ。きっと きっと。
例えば、槇原敬之の『君の名前を呼んだ後に』
この指先の温もりを、誰かにもわけたいと作られたのなら、紙コップのコーヒーも悪くないと思えた。
間接的に誰かと繋がっている歌を聞くたびに、私は『創作する遺伝子』を思い出すことでしょう。
買って正解の一冊でした。(こんな下らないブログ記事を読んでいないで買いなさいと。笑)
小島秀夫ファンの方からすると、前に刊行された本を再収録した部分が多いから不満に思う方がいるかもしれません。私は小島さんに対して「メタルギア」と「コナミvs不遇のクリエイター」というゴシップぐらいのボキャブラリーがなかったので、生い立ちや人間性を知れた事で輪郭線が見えた気がします。
あとは、単純に私の文章力のなさですよ。鈍色に輝くハードボイルド属性の文章を書けるようになるまで、或いは1割のアタリになるには、何回生まれ変わればいいのでしょうね。
ハズレと思わせつつ、偶然この記事を読んでしまったあなたに朗報を。
来週の『マイゲームマイライフ』に小島さんと三浦大知さんが出演します。
世界が注目する『DEATHSTRANDING』を語る生放送!宇多丸×小島秀夫×三浦大知×宇内梨沙▼11月14日(木)20時~21時半
間接的に繋がりました?
おわり